鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―66―三辺地では、京地の粉の場合、下地の適量は生漆と地の粉の割合が概ね1:2であった。「御道具図并入目料帳」の地之粉は京地の粉に比べて地の粉がやや多い。これは私の評価だが、「御道具図并入目料帳」の数量は実験Cに近く、当時の漆芸技法の実態に近いのではないかと思う。ただし、実験では刻苧に極細麻布の切り屑を混ぜたので、これを混ぜない実験もやってみる必要がある。また、「御道具図并入目料帳」の地之粉は地の粉がやや多いようだが、実用可能な範囲にあると思われる。この研究は、引き続き「御道具図并入目料帳」に記載された漆器そのものを、図案と使用材料数量をもとに復元作業に入る予定である。また、現在では忘れ去られた琉球王国時代の各種漆芸技法の復元に発展させたいと考えている。4 むすび琉球漆器の美はどのようにして作られたか?この問題は、私が「御道具図并入目料帳」に出会って以来、追求してきた課題である。王府の漆器製作の実態が「御道具図并入目料帳」の中に具体的に語られているわけではない。文書の大部分は漆器製作に使用した材料などの数量と金額の羅列に過ぎない。しかし、日々の業務を淡々とこなした役人たちが残した大量の数量情報を分析することで、そこに埋め込まれた諸関係を読み解くことができる。島津氏と琉球王府の関係、王府内部の関係、王府と漆職人の関係等々の中で、琉球漆器は製作されてきた。王府と漆職人との関係で言えば、役人による事務的な規格品設計による発注と、製作日数などの厳しい条件で受注しながら製作に取り組む貝摺師たちの奮闘の中から琉球漆器の美は作られてきたと考えている。私は、これまで「御道具図并入目料帳」について、王府の漆器製作をめぐる貝摺奉行所と民間工房との関係を中心に分析してきたが、この研究では「御道具図并入目料帳」の初期の研究に立ち戻って、王国時代の技法の分析とその復元を試みようと考えた。漆芸技法レベルでは、琉球漆器の美はどのように作られていたかという問題だ。「御道具図并入目料帳」の分析結果は、貝摺奉行所が単位当りの材料などの歩掛りをもとに積算していたことを確認した。そして、明治期の琉球漆器のa漆技法との比較と予備的製作実験で、「御道具図并入目料帳」の漆芸技法の妥当性を確認し、これを実際に再現できる見通しを得たと考えている。当初の目標とした「御道具図并入目料帳」の漆器そのものの復元作業については、共同研究者の糸数政次氏と引き続き行っていくことにしている。こうした作業をとおして琉球漆器の美の問題は、技術レベ

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