鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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0古代ローマ世界の「マント式ヘルマ柱」マント式ヘルマ柱のギリシアにおける成立と発展―71―――ローマ人によるギリシア美術のパトロネージ――研 究 者:国立西洋美術館 学芸課 リサーチフェロー芳 賀 京 子「マント式ヘルマ柱」という名称は、ヘルマ柱を分類・研究したルリースによる造語である(注1)。彼は、角柱に人間の肩から上が表されたヘルマ柱を頭部式ヘルマ有していることがマント越しに認められる)ものをマント式ヘルマ柱Mantelherme、マントをまとっておらず上半身が人間の姿で下半身が角柱になっているものを裸体式ヘルマ柱Körperhermeと名付けた。しかし両者の区分は多分にして曖昧であるため、マント式と裸体式をあわせてヒップ・ヘルマ柱、ボディ・ヘルマ柱と呼ぶ研究者もいる。ここでは最もオーソドックスな「マント式」の呼称を用いるが、これはマント以外の衣をまとったもの、あるいは裸体のものも含んでいることをお断りしておく。頭部式ヘルマ柱は、文献からも、陶器画からも、そして実際の作品からも確認されているように、アルカイック時代のアッティカで既に成立し、道路の行き交いや入口を守護する神として信仰されていた。陶器画には、頭部式ヘルマ柱に布の衣をまとわせた表現も認められ、実際に衣を着せ掛けることもあったと推測される。マント式ヘルマ柱らしき表現は、前5世紀後半以降に認められる(注2)。現存する最初期の実例は、少年の部の松明競走での勝利を記念して前330−320年頃にアッティカ地方ラムヌスのネメシス神殿に奉納された、少年の姿のマント式ヘルマ柱である(注3)〔図1〕。少年が誰を表しているのか、研究者の意見は一致していない。神の名が明らかな例としては、マイアンドロス河畔のマグネシアの劇場で出土した前3世紀に彫られた大理石製小卓の浮彫がある〔図2〕。ヒマティオンを身体に巻き付けた幼児姿のヘルマ柱が浮彫で表され、台座に「我は、かの有名なカルキスのヘルメス・テュコン、アンティロコスの作品、合唱舞踏のリーダー」とあり、劇場で行われた合唱競技の勝敗を司るヘルメスを表していることがわかる(注4)。同時に、カルキスにこの浮彫のオリジナルである《ヘルメス・テュコン》のマント式ヘルマ柱がこの時期既に存在し、広く知られていたことも示している(注5)。なお、パウサニアスはアルカディア地方フィガリアで「ギュムナシオン内にあるヘルメス像は、ヒマティオンを身にまとった姿をしているが、下の方は足ではなく角柱状になっている」(8,39,6)と述べており、ヘルメスのマント式ヘルマ柱が体育や競技と結びついていた柱Schulterhermeと呼び、上半身にマントをまとった(しかし上半身が人間の身体を

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