鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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1陶磁貿易における太平洋ルート―81―――アジアとラテン・アメリカを結ぶ東洋陶磁の流れ――研 究 者:サンティアゴ・デ・コンポステラ大学 歴史学科 博士課程はじめにスペインのガレオン貿易は、ポルトガルとスペインのアジア進出に伴い、ヨーロッパの経済とアジア、アフリカ、アメリカの経済が互いに物資の交流を通じてつながっていく時代である。しかし、16世紀以降の陶磁貿易の研究は日本各地の都市遺跡や東南アジアの一部の遺跡、あるいは沈没船の調査を除いて、未だ情報や調査が不足しているのが現状で、同時代の歴史の再構築は文献資料による研究に集中している。アジアとアメリカ大陸を結ぶ交易ルートとしてスペインによって開拓され、16世紀から19世紀まで続いたマニラ―アカプルコの貿易は、フィリピンを拠点にし、メキシコにアジアの商品を輸出し、メキシコからアジア経済に銀を大量に持ち込んだ貿易である。結果、アメリカ大陸とアジアを経済、文化のうえで結びつける重要な役割を果たしている。アジアの商品はどのようにしてマニラに集められ、メキシコへ送られ、市内でどのように流通していったのか、時代によってどのような変化を遂げて行ったのか。こうしたいくつかの問題点を出土陶磁器の調査を中心に明らかにしていくのが本研究の目的である。スペインガレオン貿易の歴史の概要フィリピン諸島に初めてヨーロッパ勢力が及んだのは、1521年、マゼランのセブ島到達による。15世紀以降急激に発展した航海術によってポルトガルとスペインは競って海外進出を図り、両国ともモルッカ諸島でしか入手できない丁子を求めてアジアへの進出ルートを模索し、アジア各地で衝突を繰り返した。1565年にセブ島を占領したレガスピが率いるスペイン軍は、同年からフィリピンを拠点として定期的にメキシコへ貿易船を送ることになった。マニラには毎年中国南部から船が来航し、絹製品、陶磁器、香辛料、鉄細工、家具などがもたらされ、マラッカ方面からはインド綿、モルッカ諸島からは香辛料、日本からは、武具や硫黄が運ばれ、アジアの商品の一大集積地となったことは言うまでもない。メキシコからは銀、タバコ、あらゆるアメリカ原産の植物とカトリック宣教師が大量にもたらされた。こうしたマニラとアカプルコを町田市立博物館 学芸員  矢 島 律 子宮 田 絵津子

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