―82―結ぶガレオン貿易は多くの人とモノの交流を生み、1815年まで続いた。調査陶磁器出土地区の歴史的背景とその特徴今回調査を行った中国陶磁器はメキシコ市中心に位置するゾカロ地区における発掘で出土したものである。現在その全ての陶片がテンプロマヨール博物館に収蔵されている(注1)。この地区はスペイン人による侵略以前はテノチティトゥラン(Tenochtitlan)と呼ばれ、本来湖であった地域に浮島を作り、それらをつなげた都市生活空間として存在していた。その中心をなすテンプロマヨールはアステカ文化の重要な神殿として人々にとっての精神的よりどころとも言える場所であった。その後、神殿は完全に埋め立てられ、周辺にはカテドラルや宮殿など新たな都市づくりが行われ、16世紀以降殆ど原形を変えることなく、今日までその基本的な都市構造が存続しいている。現在までに発掘が行われたのは、このテンプロマヨール、そしてカテドラル、ドンセレス通り、フストシエラ通り、モネダ通り、テンプロマヨールと大司教住居の間に隣接する形で存在するカイエ・デ・リセンシアード・ベルダ一角と宮殿(パラシオ・ナシオナル)の一部である。テンプロマヨールの遺跡は勿論アステカ文化に属する出土品が最も多い場所であるが、同時に植民地時代の出土品も最も多く出土している。植民地時代以降この地区はメキシコ市、中南米植民地支配の政治的、経済的な中心として常に重要な役割を担ってきた。テンプロマヨール周辺には市の中央広場があり、17世紀を通して、スペイン人によって経営されていた店、インディオの屋台や工芸品店などが、ヨーロッパからくるあらゆる商品やガレオン船でもたらされた中国製の絹や陶磁器などと一緒に取り扱って市場が存在したという。この地区一帯は1629年に大洪水に見舞われ、その後市場は復興したものの、殆どの商店が木製の台や箱の上に商品を並べただけの簡素な作りであったため、再び1656年に火事によって全てが焼き尽くされてしまった。その後は市場の建造物も石造りの構造で火事に備えたと文献に記されている。出土陶磁器の分類と編年メキシコ市テンプロマヨール周辺からの出土陶磁器については年代や生産地などを考慮した上で、大きく分けて以下の7時期に分類した。1)嘉靖末〜万暦初めにいたるガレオン貿易初期の景徳鎮陶磁器2)16世紀第三四半世紀頃の景徳鎮碗
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