―2―こと、④《サン・ジョヴァンニ・クリソストモ祭壇画》〔図2〕と《ディレッティ祭壇画》〔図3〕の中心人物である、聖ヨアンネス・クリュソストモスと聖ヒエロニムスが、あたかも対面するかのように、側面観で本を前に座していること、⑤聖堂再建に当たる責任者(procuratore)が3人選出されたが、全ての決定事項に関して、聖堂参事会、とりわけ主任司祭の承諾を得なければならなかったこと、などである。従って、報告者は、聖堂再建に際し図像プログラムが構想され、タレンティ主任司祭がその構想に大きく関わっている可能性を予見している。本稿では、聖堂の図像プログラムを解明する一つの過程として、聖ヨアンネス・クリュソストモスと聖ヒエロニムスが、ほぼ同じ高さで、向き合って配置されていることに着目し、再建当時のヴェネツィアにおける社会的・宗教的文脈を考慮に入れつつ、東方教会と西方ラテン教会を代表する、二人の偉大な教父かつ教会博士が描かれた意義を考察することを目的とする。2.東西教父(教会博士)の表象例とその意味実際、本聖堂以外にも、ギリシア教父とラテン教父を一緒に表した先行例がローマに存在する。第一の作例は、ヴァチカンに現存する、通称「ニッコリーナ礼拝堂」である。1448−50年頃、フラ・アンジェリコが、教皇ニコラウス5世(在位1447−55)の私設礼拝堂のためにフレスコ画〔図4〕を制作した。聖ステパノ伝と聖ラウレンティウス伝を挟むように、四隅に8人の教会博士―聖アンブロシウス、聖アタナシウス、聖アウグスティヌス、聖グレゴリウス1世、聖ヒエロニムス、聖ヨアンネス・クリュソストモス、聖レオ1世、聖トマス・アクィナス―が、一人ずつ壁龕の中に表されている。その中で、特に、四大ラテン教父と2人のギリシア教父が描かれている理由として、1439年にフィレンツェ公会議において到達し得たばかりの「東西教会の統一」を象徴していると考えられている。ニコラウス5世(トンマーゾ・パレントゥチェッリ)は、司教の時代に、前任者のヴェネツィア出身の教皇、エウゲニウス4世(在位1431−47)によって招集された、フェッラーラ・フィレンツェ公会議(1438−39)において、教皇の首位権確立と東方教会との統一実現を図るために尽力し頭角を現した。また公会議は、彼にとって、イタリアの人文主義者だけでなく、ベッサリオン、ゲミストス・プレートンやジョルジョ・ダ・トレビゾンダなど、ビザンティン帝国の高位聖職者や知識人とも親交を深める機会となった。その後、教皇に選出されたニコラウス5世は、ロレンツォ・ヴァッ
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