鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―95―ったポプラの下で若い男女が手を取り合う。《秋》〔図4〕ではそびえ立つ岩山のふもと、兵士と女性が手を取り合いながら前へと進もうとし、《冬》〔図5〕では廃墟となった修道院を背に、年老いた2人の遍歴者が腰を下ろしている。《洞窟の骸骨》〔図6〕では鍾乳洞の中に人間の白骨が置かれ、《礼拝する天使》〔図7〕では2人の天使が雲の中、画面中央の光に向かって祈っている。このように本連作では、1日の4つの時、四季、人間の一生、そして自然の歴史が同じ連関のうちに表現されている。本連作の原型は、フリードリヒが画家としての活動を始めてまもない1803年に制作されたセピア画による《四季》連作〔図8−11〕に見ることができる(注12)。その後画家は1807年頃にも同様の連作(現存せず)を制作し(注13)、1808年には《夏》〔図12〕と《冬》(現存せず)を油彩画として仕上げた(注14)。これらの作品を発展させる形で、1826年頃に再び《四季》連作に取り組むことになるが、ここで画家はいくつかの大きな変更を加えているのである。まず、全体が7枚で構成されるようになったことをあげなければならない。1枚目《夜明けの海》、6枚目《洞窟の骸骨》と7枚目《礼拝する天使》が追加され、連作は7枚へと展開されたのである。いったいなぜ画家は、4枚からなる四季図を7枚へと展開させたのであろうか。ブッシュはイギリスの心理学者デイヴィット・ハートリーが『人間の考察』で論じた意識の発達における7段階に言及しているが(注15)、18世紀後半に出版された同書が本連作の制作に直接的な影響を与えていたとは考えにくい。筆者が注目したいのは、1枚目《夜明けの海》の図像源として、17世紀の銅版画による天地創造図の第1日目《光の創造》〔図13〕が指摘されていることである(注16)。フリードリヒの《夜明けの海》には、水の上を漂う神の姿などは描かれていないものの、両者は明らかに類似している。《夜明けの海》を描く際に画家が、天地創造の第1日目を念頭においていたと考えられるのである。19世紀に入ってもなお、7という数字は世界の創造と結びつくものであった。たとえば、当時の図像学辞典を見ると、「7」の項目では1番目に「モーセによる天地創造の7日間」と記されている(注17)。そうした数字の象徴性は自然科学の分野においてもいまだ大きな影響を及ぼしており、ビュフォンは『自然の諸時期』において地球の形成から始まる自然の歴史を7期に区分し(注18)、画家の友人カールスも『自然界についての十二の書簡』の第6書簡で地球の形成における7段階を論じている(注19)。以上のことから、画家は連作を7枚に展開させることにより、神的な法則に支配された「世界」を表現しようとしたと考えられる。

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