鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―97―死の魂は永遠に続いていくのだ!(注26)。」死後の魂が不滅であると画家が信じていたのである。これはまた、この頃体調に不安を抱いていた画家自身の希望でもあっただろう(注27)。こうして7枚には幼年期から青春期、壮年期を経て老年期に至り、死後に復活する人間の姿が描かれたのである。このように、プッサンの連作では四季が、旧約聖書による人類救済の歴史として捉えられているのに対し、フリードリヒの連作では四季を含めた「世界」が、人間の一生に則して把握されているのである。ここに世界観の変化を読み取ることができるのではないか。画家は次のように述べている。「この聖堂とその僕たちの輝かしい時代は過ぎ去った。そして、粉々に砕け散った全体から、新たな時代と、明澄さと真実への新たな願望が生まれたのである(注28)。」すなわち、かつての神ではなく、新たな信仰によって導かれた人間によって、「世界」が捉えられるようになったのである。3 記念碑と一組の男女の意味このように世界観が変化した背景には、近代の市民革命があるだろう。これまで絶対的な権力としてあった王制は打倒され、市民が政治的に大きな力を持つようになる。これまで神の意思と見なされていた社会の秩序が崩壊し、市民による新たな社会が望まれたのである。ナポレオンがヨーロッパ中で勢力をふるった19世紀初頭、ドイツもその支配下となる。1813年3月にはドイツ解放戦争が勃発するが、その後も画家の望んだ自由で平等な社会が実現されることはなかった。1826年頃の《秋》〔図4〕には、1803年の《秋》〔図10〕には描かれていなかった兵士のモチーフ、さらに彼を称える記念碑が描き加えられている〔図19〕。画家がこうしたモチーフを取り上げるようになるのは、対ナポレオン戦争前後のことであった(注29)。記念碑についてフリードリヒは、友人で愛国主義者としても知られるエルンスト・モーリッツ・アルントに宛てて次のように書いている。「国民の偉業を示す記念碑も、ドイツの男たちひとりひとりの気高い行為をたたえる記念碑も建てられなかったことに私は決して驚いてはいません。私たちが君主の下僕である限り、偉大なことは何ひとつ起こらないでしょう(注30)。」記念碑によって無名の戦士を称えようとしたのは、君主ではなく市民こそが社会の秩序を支配するべきであると考えていたからである。本連作には、自由を求めて進歩する人間の姿を見出すことができる。さらに、本連作では人物が男女のペアとして描かれていることも忘れてはならない。ラウトマンはこうした人物の姿に、自然に囲まれて成長し、愛で結ばれた結婚生活を送り、国家的理想を求めて戦い、神の秩序の中で死を迎えるという、19世紀前半の小

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