鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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日米開戦前後のニューヨークと東アジア美術―137――山中商会を例に―研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士特別研究員  19世紀後半以降のアメリカ合衆国における東アジア美術受容の研究は、これまで盛んに行われてきた。しかし、19世紀後半期の受容に向けられる研究者の熱心な注視に比べたとき、20世紀前半期に向けられるそれは一瞥に過ぎないと言えるだろう。一時期逸らされた視線は、その後昭和28年(1953)に開催されたアメリカ巡回日本古美術展などに向けられるが、両地域の歴史に完全なる分離がなかったことを考えれば、双方の接触も不断であり、特に互いの社会体制に大きな変動が生じた重要な時期を無視することは、両地域間での美術交流史に大きな欠損を残すこととなるだろう。また、これまでのアメリカにおける東アジア美術の受容に関する研究は、作品の分析などと共に、研究者やコレクターに焦点を当てた調査が進められ、彼らの活動の原動力となった思想や育まれた感性などについての様々な論考を提出するに至っている。これと平行し、市民にとっての美術の受容の場であった博覧会の研究も進んでいるが、これらは個人や私的なサークル活動、または短期的な事象をその対象としているため、限定的な視野しか持ちえず、閉鎖的な一現象としての受容を論じているものが多いため、より長期的な事例を検討する必要がある。研究者は、以上のような問題意識に基づいて、20世紀前半期のアメリカで活躍した東アジア美術商山中商会の調査を進め、同時期の市民が迎え入れた「東洋」美術の実態を探ることを目的として研究を進めている。山中商会は明治27年(1894)に創設された新古美術品輸出商であり、1940年代までに東アジア美術を欧米に広く頒布したが、昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦を機に在外資産の多くと、その勢いを失った。彼らは20世紀前半期に活躍した最大の美術商ではあるが、その研究は途上についたばかりである。そこで研究者は、アメリカ国立公文書館に保管されている未調査の山中商会関連資料の分析を行うこととしたが、これに当たりその対象を同商会のニューヨーク支店に関係あるものに定めた(注1)。これは膨大な資料を効率的に調査するため、歴史的経過及び経済規模からアメリカにおける山中の商いの中核を担っていた同支店に焦点を絞ったためである(注2)。今回の調査に際し、研究者は二つの方面からのアプローチを検討した。一つは文書資料を基とした山中商会のネットワークの再構築であり、もう一つはアメリカに齎さ小 熊 佐智子

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