注山中商会の資料はレコード・グループ(RG)131に属し、エントリー・ナンバー163番から183番に当たる。総量はレターサイズのアーカイブ・ボックス(およそ36センチ×15センチ×30センチ)にしておよそ90箱で、大まかにニューヨーク、ボストン、シカゴの支店への属性により分類され、比較的ニューヨーク支店に関するものが多い。 ニューヨーク支店は山中商会がアメリカに渡った直後に開設され、以降、3度ほど移転をした。昭和10年(1935)末時の取引高は55万ドルで、他の支店を圧倒している(『昭和十、十一年十二月末現在 在外本邦実業者調書』(上巻)「昭和自十年度至十一年在外本邦実業者調書ノ部」「在外本邦実業者調査一件 調書ノ部」外交史料館、K.3.7.0.4−2、731、734頁)。■ウォレン・I・コーエン『アメリカが見た東アジア美術』川嶌一穂訳、スカイドア、1999年、■「米国三支店協定事項」, 1938, RG131Entry #:166Naii: 230: 37/18/05−37/18/05Container#:19,■[Record of the company], RG131Entry #:177Naii: 230: 37/19/06−37/19/07Container#:51, National松山良子「日米開戦で没収の東洋美術品 数百倍の値で市場に」『ニューヨーク・ヨミウリ』―142―■Alan Priest, Japanese Costume. An Exhibition of No Robes and Buddhist Vestments, New York: The■RG131Entry #:174Naii: 230: 37/19/01−37/19/04Container#:15, National Archives.■[NY.]Telegram to Yamanakashokai, 9Aug. 1941, RG131Entry #:175Naii: 230: 37/19/05−37/19/05Lean Bleazby, letter to Nagatani, 25Oct. 1941, RG131Entry #:181Naii: 230: 37/19/04−37/19/05Nagatani, letter to Yamanaka & Company, Inc., 680Fifth Avenue, New York City, 6Feb. 1942,では戦時下においても同美術への熱狂及び消費熱は健在であったと言うことを指摘したい。こうした東アジア美術への興味は、太平洋戦争終結後のアメリカ巡回日本古美術展覧会や台湾故宮博物院の所蔵品による美術展などの成功へと繋がっていくものと考えられる。つまり、このようないわゆる戦後の東アジア美術への関心は、太平洋戦争後の1950年代にアジアに駐留した兵士がその文化を持ち帰り普及させたと見る向きもあるが、今回の調査結果により、そうした側面の他に戦時中も引き続き健在であった趣味が再燃したと捉えることも可能になったのである。186〜187頁1989年7月14日、1面。National Archives.Archives.Metropolitan Museum of Art, 1935.Container#:34, National Archives.Container#:30, National Archives.RG131Entry #:181Naii: 230: 37/19/04−37/19/05Container#:30, National Archives.
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