近世後期における大嘗会屏風―145―研 究 者:東京国立博物館 主任研究員 松 嶋 雅 人はじめに天皇が即位後、初めて行う新嘗祭である一代一度の大祀、践祚大嘗祭の場において用いられた大嘗会(悠紀主基)屏風は、はなはだ特殊な意味と機能をもっている。この大嘗会屏風については、秋山光和氏による「大嘗会屏風について」(注1)が、その様相を詳述する研究として、極めて貴重な指針となっている。そして近年では、八木意知男氏が大嘗会屏風の主体といってよい漢籍から選ばれた本文と、詠進された和歌について、詳細に検討されている(注2)。ところが、屏風そのものの実体は、江戸後期の若干例をのぞき、ほとんど作例が知られていない。近代以降の大嘗会屏風である大正、昭和、平成度の「悠紀主基地方風俗歌屏風」が展示公開された(注3)こともあるが、現在のところ、近代以前に制作された大嘗会屏風の作例の紹介(注4)は、ほとんどなされておらず、大嘗会屏風がいったいどのような状況下で、いかに制作されたのか、実作品に則して検討されたことはほとんどなかったといってよい。そのような折柄、先般、東京国立博物館において、江戸後期に制作されたと目される大嘗会屏風60帖(隻)の所在が確認できた。本報告は、大嘗会屏風の制作状況などの具体的な様相を明らかにするために、上記作品の制作時期、図様構成、屏風に記された本文ならびに和歌、屏風絵の筆者、制作の事情などの概要を記すものである。1.大嘗会屏風の概要作品現品の報告に入る前に、秋山光和氏、八木意知男氏の研究を参照しつつ、大嘗会屏風について簡単にふれておきたい(注5)。大嘗祭における饗宴の節会、大嘗会には、あらかじめ卜定した京より東の悠紀、同じく西の主基のそれぞれの斎国から標山、州浜、御挿頭などのさまざまな品が献進される。その調度のなかで、重要なものの一つが大嘗会屏風である。この屏風は、和歌御屏風と本文御屏風の2種類からなっている。歴代の大嘗会において平安時代初期にはその存在が確認されているが、降世、次第にその形式が定まって、和歌御屏風は悠紀主基の両斎国から各6帖計12帖、本文御屏風は各4帖計8帖が新調された。その屏風の高さは、和歌御屏風は四尺、本文御屏風は五尺とされ、和歌御屏風は四尺屏風、本文御屏風は五尺屏風ともいう。
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