第117代後桜町天皇・明和元年(1764)度:悠紀方6帖 主基方6帖 計12帖揃第118後桃園天皇・明和8年(1771)度:悠紀方2帖 主基方2帖 計4帖―147―いる。すべての屏風で、右から第1扇、第3扇、第5扇に色紙形が貼りこまれている。また、色紙形が逸失している屏風や、屏風絵の内容と色紙に記された和歌が一致しないものがある。これは前述の「列品記載簿」に修理を施した記述が認められる(注7)ので、その折に錯誤が生じたのかもしれないが、明らかにすることは困難である。以上の結果をふまえて、帖毎の全図の写真撮影を行い、和歌御屏風については、色紙形に記された文章を『神道和歌 神道大系 文学編3』に集成された「大嘗会和歌補遺」(注8)によって、いずれの大嘗会に制作された屏風であるのかを判断し、〔表1〕にまとめ、本文御屏風については、〔表2〕に掲げた。次に東京国立博物館に所在する和歌御屏風、本文御屏風の概略を記す。①和歌御屏風について大嘗会和歌御屏風(四尺屏風)は、次のものが確認できた。和歌の作者は、悠紀方が日野資枝(1737〜1801)、主基方は烏丸光祖(1746〜1806)である(注9)。紙本着色により、各和歌について、概ね2扇分を使って、題詩の意味内容が絵画化される。画面に金泥の霞が引かれることによって、和歌毎に描かれたモチーフの遠近を表現するものや、一首分に相当する絵のなかで遠山が描かれるなど、近景と遠景が表現されるものもある。悠紀方甲帖第1首「美尾山朝日初昇」や悠紀方乙帖第1首「朝妻山桜漸開」など、山並みに朝日が昇る様子や桜樹の描写によって情景をあらわすものなど、やや淡白で大味な描写もみられる。和歌それぞれの図様は、金泥引きをはさむことで、各図の関連を暗示させるものの、モチーフ個々の描写の上では脈絡なく分断されているといえる〔図1〕。なお、この明和元年度のものが、報告者が知る限りにおいて、現存する大嘗会屏風の最古の作例といえる。和歌の作者は、悠紀方が広橋伊光(1745〜1823)、主基方は柳原紀光(1746〜1800)である。和歌は36首が記録に残っているので、明和元年度と同じく12帖が新調されたはずであるが、ここでは4帖分の屏風が確認できた。紙本着色により、各和歌について、概ね2扇分を画面として使って、題詩の意味内容を絵画化する。明和元年度のものより、それぞれのモチーフの描写をみるとより細かに表現しているものが多く、画面上の余白が少なくなっている。
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