第119代光格天皇・天明7年(1787)度:悠紀方5帖 主基方5帖 計10帖第120代仁孝天皇・文政元年(1818)度:悠紀方6帖 主基方6帖 計12帖揃第121代孝明天皇・嘉永元年(1848)度:悠紀方6帖 主基方6帖 計12帖揃―148―和歌の作者は、悠紀方が日野資矩(1756〜1830)、主基方は広橋胤定(1770〜1832)である。12帖のうちの10帖が確認できた。紙本着色で、金泥引きがなされ、概ね明和元年度、明和8年度の屏風と同様な描写がなされているが、悠紀方丙帖をみると、第1首と第2首にかかる描写において、土坡の輪郭線が共通した形のため、関連性が生じ、情景が繋がっているようにもみえる。同様に主基方丙帖〔図2〕では、第2、3首の情景において、水面の描写が一体化している。詠じられた場所(地名)は異なるので、絵画における空間表現の一つといえよう。和歌の作者は、悠紀方が天明度に続き選ばれた広橋胤定、主基方は柳原隆光(1793〜1851)である。和歌は当該度の悠紀方だけが平仮名で表記されており、ほかはすべて万葉仮名で記されている。紙本着色であるが、これまでの和歌御屏風と異なる点は、画面の上下段に6扇を通して、また中段に幾条かのすやり霞を群青であらわしていることである。その霞は胡粉によって輪郭線が引かれている。空間表現に注目すると、悠紀方丙帖では、三箇所すべてが、水景でつながり、一連の情景のようにみえる。その背景のもと、菖蒲を採り、納涼し、禊をする人事が描写されている。また、明和元年度主基方乙帖〔図1〕の第3首「長宮山採柏有祭神」と、この主基方乙帖〔図3〕の第3首「神山祈佳祝懸葵」では、鳥居の前で祈る人物の上下に近景には樹木をおき、遠景には丸い山容を重ねる描写がなされている。題詩にかかわらず、同様な図様構成が調整されており、本屏風絵の筆者がモチーフ個々の描写について、前例となる大嘗会屏風を参考にしているといえよう。和歌の作者は、悠紀方が天明度に続き選ばれた広橋光成(1797〜1862)、主基方は烏丸光政(1812〜63)である。紙本着色により画面を彩り、文政元年度と同じく群青により霞が引かれている。画面をみると、概ね文政元年度の描写方法に準じて題詩が絵画化されているといってよい。一例をあげると文政元年度の悠紀方丙帖〔図4〕と、本度の悠紀方丙帖〔図5〕をみると、第3首題詩の地名が違うものの、画面中央に1本の幹の曲がり方も同じくする松樹をおいて、その背景に水景を広げ、左方に遠山を配する似通った画面構
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