注秋山光和「大嘗会屏風風について―平安時代「やまと絵」研究の一節―」『美術研究』118、1941年(同氏著「大嘗会悠紀主基屏風」『平安時代世俗画の研究』吉川弘文館、1964年に増補収録) a八木意知男『大嘗会和歌の世界』皇学館大学出版部、1986年。b八木意知男『大嘗会本文の世■A−9876の記事には「昭和參年拾月四日修理ニ付…」「昭和九年拾貳月貳拾參四日修理ニ付…」■橋本不美男、相馬万里子校注『神道和歌 神道大系 文学編3』神道大系編纂会、1989年前掲注■「解題」参照。以下、度毎の和歌作者についても同参照。前掲注 a「第5章 大嘗会和歌における継承の姿」参照。前掲注■「大嘗会和歌詠進日記」参照。前回の貞享4年度には、大嘗会和歌が詠進されておらず、また文正元年度(1466)から貞享4年度まで大嘗祭は斎行されていなので、元文3年度のものが、江戸次代における最初の和歌御屏風となる。前掲注 b「第2章 五尺御屏風と本文」参照。朝岡興禎著、太田謹増訂『古画備考』弘文館、1904年。堀直格著、黒川春村補訂『扶桑名画伝』―152―地理的違いを表現する描写はほとんどない。これはそれらの土地の実景に無関係に描かれているといえよう。さらに、和歌御屏風を継承したとされる近現代の天皇即位の折に制作された大正、昭和、平成の三代の「悠紀主基風俗歌屏風」は、大きくその形式を変えている(注18)が、それらの変遷の意義をたどる指標として、今回の江戸時代後期に制作された和歌御屏風の実体を示されたことの意味は大きい。以上のように、本調査研究により、江戸後期における大嘗会屏風現品の具体的な様相が知られることとなった。そして、そのことでさまざまな検討課題が生じることとなったといえる。今後は、さらに文献史料の博捜と、現品作例の探索を続け、近世における大嘗会の諸事情を考察していきたい。1899年。川崎千虎、松尾四郎編『名印部類』春陽堂、1892年堀直格著。並びに『土佐派絵画資料目録(一)肖像粉本(一)』の「人名解説」京都市立芸術大学附属図界』皇学館大学出版部、1989年。c八木意知男「大嘗会御屏風」『神道史研究』34−2、1986年■『御即位10年記念特別展 皇室の名宝』展覧会図録 東京国立博物館・宮内庁・NHK、1999年■前掲注 bに、京都国立博物館所蔵の天明7年の屏風4帖が図版掲載されている。■前掲注並びに、前掲注 b「序章 大嘗会と本文」を参照。■A−9875、9876、9877の3件にそれぞれ6双(12帖)ずつが登録されている。A−9877の記事には、「蓋押紙之天明度一悠紀方參双ノ内壱雙甲者類巨止爾−牟女乃者良−登佐志勢奴−乙者留布賀載−伊久千子乃−計布万津類−」などとあるが、後述するように天明度の大嘗会屏風は、10帖のみが確認できた。なお、経緯は不明であるが現在これらの登録番号は、欠番とされている。とあり、A−9877には「昭和五年拾貳月貳拾參ニチ修理ニ付…」などとある。
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