2書簡にみるヘレン・ハイドの日本における創作活動―157―研 究 者:東北大学大学院 国際文化研究科 博士後期課程 石 川 香 織はじめにアメリカの女性版画家ヘレン・ハイド(1868−1919)は、日本の子供や女性を主題とした作品とともに、彼女の日本での生活スタイルが多くの雑誌や新聞に取り上げられた。彼女は、アメリカのジャポニスムの担い手として活躍した。ハイドは、1899年から1914年まで約15年間日本に滞在したが、いくつかの断片的な記録や挿話が紹介されている以外には、その活動や交流関係は未だほとんど明らかにされていない。そこで、このたびカリフォルニア歴史協会が所蔵するハイドの家族宛の書簡とハイドの東京・赤坂の家を訪問した客のサイン帳である『東京ゲストブック』(注1)〔図1〕の調査を実施した。書簡は、ジュリア・ミーチが1部の引用(注2)を行っている以外、未紹介の資料であり、『東京ゲストブック』は今まで言及されることのなかった資料である。本稿では、書簡を中心に、今回の調査で判明したこれまで知られてなかったハイドの創作活動について、ハイド自身の言葉を基に報告する。資料の概要カリフォルニア歴史協会が所蔵するハイドの家族宛の書簡は、1912年8月から14年11月までの間の約420枚に及ぶ。ハイドの最後の日本滞在の記録というべきもので、数箇所を除き、ほとんど1週間を空けずに書かれている。手紙の本文外のハイド自身によると思われるメモに、友人のエッチング版画家バーサ・E・ジャックス(1863−1941)らに回覧するよう指示したものがあり、知人らへ日本生活の報告や紹介をすることも意図していたようである。書簡には、日本の外国人社会に幅広い交友関係を持つハイドが招き、招かれたりするお茶会や夕食会の様子が数多く記載されている。活発な社交生活の報告と共に、ハイドの制作活動や作品の売買についても記述がある。ハイドはこの時期、赤坂近郊ばかりでなく、葉山、八王子などの友人宅を訪問し、帰国間際には、鎌倉や京都にも足を伸ばしている。長期滞在としては、1913年夏に初めて、友人の医師が所有する軽井沢の別荘に約2ヵ月、そして帰国直近にも約3ヵ月間滞在し、最後に日本滞在中よくスケッチに出かけた日光を訪れてから帰国の途についている。書簡が書かれた時期は、10数年に及ぶ日本滞在の終盤であるため、日本の風物への感動や驚きより、日常起こる使用人との軋轢などを通して、現実の日本の生活に対する苦言や疲弊を訴える言葉が散見される。
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