鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―162―中に、その写真の出店が取り入れられている。これらの例とは違い、写真や実際に見た光景ではなく、友人から聞いたちょっとした話をヒントに作品を制作することもあった。出来上がった作品は、《8月》〔図6〕と思われるが、ハイドが大衆の好みを反映させ、作品を商品として意識していることを感じさせる。ハイドの友人ジョニーが昨夏の話をする。「少女が寺から出てくる。頭を上にまとめて、扇をもって。ただそれだけさ」私は絵にする。ボイントン嬢が、「アメリカ人にはそれだけでは受けないわ。うちわに房をつけないとね」とアドバイスする。私はそうする。房は家によってちがい、様々(注16)。なお、ハイドは1914年に3点の中国を主題とした作品を制作している(注17)が、3月8日の書簡で、「私はそれらに戻ったことが大いなる喜びとなっていることに驚いた。私の手はそれに慣れている。あたかも14年の月日がなかったかのように」と懐かしみながら手がけていることを記している。これに続いて、サンフランシスコの博覧会に出品することが記載されており、メキシコ旅行シリーズの一区切り、帰国による日本を主題とした作品の終結を迎えるにあたって、次のテーマに思いを馳せている状況が読み取れる。最後に、実際の光景に触発されて作品制作に取り組むハイドの記述を紹介する。通りはにぎやか。万華鏡の色彩のよう。色とりどりの着物を着て、羽根つきで遊んでいるこどもたち。お祝いの旗、羽のような竹が、通りや家の前に飾られている。御幣の紙がついた稲穂、上下に揺れるしだは柔らかい羽のよう。大きな木版画を作りたい。この騒がしい動きの印象をとらえることができるかどうかわからない。ほんの少しなら、もっと単純化してならば。私は両方の考えを試みた。…私は気づかないまま2時間、外にいた。…動きがいっぱい。この作品は、《東京の元旦》〔図7〕と思われる。《追いかけっこ》と同じように、動きをとらえようとした作品をめざしていたのだろう。書簡には、写真は添付されていない。ここには、写真でとらえることのできない動的な表現に挑むハイドの姿がある。1914年1月1日付のこの書簡に続いて、11日付の書簡でも、「今まで試みた中で、最も難しい。20人の人物がいる」とし、「もし成功すれば大勝利となる」と記し、18

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