鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
172/543

■駐米全権公使などを務めた珍田捨巳夫人。■『ジャパン・ウィークリー・メール』1912年9月7日、280頁。■1914年7月19日書簡。■リーチについては、鈴木禎宏、『バーナード・リーチの生涯と芸術』ミネルヴァ書房、2006年■1913年1月9日書簡。■1913年1月18日書簡。1913年1月22日書簡。メキシコの作品の中の人物像と思われるが、書簡から作品は特定できない。1913年2月4日書簡。《渡し舟で》のタイトルが付いた作品を筆者は現在までに確認できていない。1913年7月7日書簡。ジュリア・ミーチ、前掲書、113−115頁。ミーチは、カリフォルニア歴史協会の目録からハイドが手彩色写真のアルバムを1冊所持していたことを記している。筆者はカリフォルニア歴史協会でそのアルバムを確認したが、アルバムの中には、亀戸の太鼓橋の写真は含まれていなかった。アメリカ議会図書館に版権を登録した年が作品に記されているが、実際の制作は書簡で亀戸の ニューヨーク、マクベスギャラリーとの書簡。―164―1914年1月1日書簡。ティム・メイソンは、下記カタログの年表で、ハイドが1913年の中国旅行に出かけたことを記載している。筆者がカリフォルニア歴史協会の所蔵するハイドの書簡を調査したところ、書名のない、1913年8月19日、22日付の中国からの書簡が含まれていることを確認した。しかし、同年両日付のハイドが軽井沢から送った書簡があり、中国からの書簡は、内容から本人の執筆によるものであるかどうかを確認できず、家族からの書簡とも考えられる。ハイドが実際に、1913年に中国へ旅行したかどうかは疑問が残る。Mason, Tim and Lynn Mason. Helen Hyde, American Printmakers, New York : Smithsonian Institution,1991.を参照した。太鼓橋に触れている1913年頃ではないかと推測する。

元のページ  ../index.html#172

このブックを見る