鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―169―Munakata」というサインのほかに年記と思われ書き込みがあるが判読不能である。よりは進境を表して居ることはたしか」と記されていることから、筆頭に名が挙がっている棟方は、おそらく第1回展から出品していたものと思われる。對馬氏の調査や『棟方志功全集』ほかの主要文献をもとに、戦前の油彩画と発表歴を一覧表にした(別掲記録年表)。描き初めて間もなくから精力的に発表活動をくりひろげていたことがうかがえる。以下、年代を追って最初期の作品をみてゆく。近年青森県立美術館に収蔵された三点の油彩画は、技法を手探りしていた時期の画風を伝えるものである。《雪国風景図》〔図1〕は、青森にあった聖安得烈(アンデレ)教会を描いたもので、建物は現存しないが、教会を記録した写真と比較すると、実際の外観をかなり忠実に描いていることがわかる。《初冬風景図》〔図2〕は、詳しい場所は特定できないが、旧所蔵家宅に伝わる話をもとに青森操車場の南側ではないかと推定されている(注6)。描かれたモティーフから、前者はゴッホの《オーヴェールの教会》、後者は《果樹園》のシリーズを連想させる。しかし、ゴッホの画風を真似るのではなく、油彩による写実をこころみようという姿勢が、ニュートラルな色彩の選択や抑え目の筆触からうかがえる。《八甲田山麓図》〔図3〕は、色調や筆触からセザンヌを意識していることが明確であろう。青森の八甲田山がサント=ヴィクトワール山に見える。ゴッホへの傾倒ばかりが語られてきたが、他の画家たちも研究した跡がうかがえる。三点とも4号サイズの板に描かれており、同じ頃の作品と推定される。確かな年記があるのは《八甲田山麓図》だけで、裏面に記された「大正十三年六月二十二日」という日付は制作年月日と解してよいだろう。《雪国風景図》の画面右下には「S.《初冬風景図》は、裏面に作者の署名と献呈先の名前が墨書されているのみである。この二点は青森の風景であり、棟方が上京する直前に描いたものという旧所蔵者の言い伝えなどを根拠にして大正13年(1924)頃の制作と推定されている。題名は棟方志功鑑定会(注7)が付したものである。画面に「大正十四年二月二十二日」の年記のある油彩画が最近棟方志功記念館に寄託された。この《松原図》〔図4〕は冬の海岸の樹木を描いた作品。単調なモティーフをモノトーンに近い色づかいでまとめており、絵の具を厚く重ねて独特の絵肌をつくりだしている。従来の年譜だと、画面にある日付の頃には上京しており、教材会社で画工見習として働いていることになる。しかし、前述した對馬氏の調査では、『東奥日報』が大正14年9月3日付紙面で棟方の上京勉学について報じていることから、

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