―173―の風土と、日本の美しい光とこころが絞り挙げられているのです。そういう力がひそんでいるのです。」「日本」の「風土」「光」「心」という言葉は抽象的であり、様々な解釈が可能であろう。しかし、萬、関根、槐多という三人の油彩作品を思い起こすとき、棟方が言う「日本」がおぼろげながらも見えてくる。それは、「土俗的情念が発する美」とでも表現すべきものであろうか。精神文化の基層を形成する宗教性と文学性を併せもった感性への共鳴が感じられるのである。三人の画家との接点として、例えば色彩の問題があげられよう。萬も関根も槐多も、油彩ならではの強烈な色づかいが深い精神性を感じさせる画面をつくりあげた。日本に無かった画材でありながら、遺伝子に訴えるように響いてくる表現を見出した画家たちと言っていいだろう。棟方は昭和7年に伊豆大島を旅したときに、油彩における色彩の重要性に気づく。「現実の色を活かすものは、日本画でも木版画でもなく、それは油絵に若くはないのだということを、この大島の旅で得たのでした。」ゴッホやゴーギャンが念頭にあったかもしれないが、「油絵は原色で混りっけのないものを描こう、板画では、白と黒を生かしてゆこう」と、色彩を油彩表現の指標とすることを語っている。棟方が原色と表現するのは、ウルトラマリン、プルシャンブルー、クリームイエロー、クリムソンレーキ、ライトレッドなどの良く使う絵の具である。棟方は「日本の油絵」の可能性を、墨画のような早描きによる大胆なストロークと鮮烈な色彩に見出した。版画を含めて棟方とヨーロッパの表現主義の関係については今後検証すべき課題であるが、どこまで自覚的であったかは別として、昭和10年代以降の棟方の油彩画は表現主義の思想と様式に近いところにあるように思える。ところで、ゴッホもそうだが、棟方が尊敬する三人の日本の画家も、風景とともに自画像に名作を残した画家たちである。表に掲げたように、棟方も初期から数多くの油彩による自画像を描いている。青森で最初に油絵を見たときの記憶も、「自分の顔が描けるじゃないか、どうして描くことができるだろうか」と自画像という主題への特別な関心を表している。油彩で自画像を描くことには特別の思いがあったと想像される。残念ながら初期の油彩自画像は確認できずにいる。おわりに昭和17年(1942)に油彩画だけの作品集『棟方志功画集』(注13)が刊行されてい
元のページ ../index.html#181