鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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注棟方志功『板極道』中央公論社 1964年(本論では中公文庫1976年版を参考にした) 土方定一「棟方版画と現代日本美術」『読売新聞』(夕刊)1956年6月22日■『棟方志功全集』第12巻 雑華の柵 講談社 1979年■松木満史「青光社その他」『みちのく民芸』第7号 1964年5月■棟方が『板極道』の中で回顧している、当時から本格的な画材を使っていた絵描き仲間の「弁護士の子供の飯島勉(ツッチャ)」が飯島強で、「弁当屋の子供の斉藤勇(ユッコ)」が斉藤勇也と推測される。■『生誕100年記念展 棟方志功―わだばゴッホになる』図録(宮城県美術館ほか 2003年)作■鑑定会は財団法人棟方板画館理事を中心に構成されるもので、事務局は東急百貨店美術部内。■「花深処無行跡」⑤『サンケイ新聞』1963年8月『東奥日報』1933年7月30日付小高根二郎『棟方志功―その画業の形成』新潮社 1973年下澤木鉢郎「三人像」『棟方志功全集』第12巻 収録土門拳「棟方のド近眼(A)」『棟方志功全集』第12巻 収録『棟方志功画集』日本板画院編纂 昭森社 1942年―174―Paintingではなく、油絵の具によるDrawingだというわけだ。的確な指摘である。ゴッる。棟方唯一の油彩画集であり、昭和15〜17年の作品を収録している。同書には民藝運動のメンバーであり棟方の育ての親のひとりとされる水谷良一が序文を寄せている。この中で水谷は、「彩描」という言葉で棟方の油彩画の特質を語っている。ホの油絵にあこがれ、さまざまな様式を試しながら「日本の油絵」を模索してきた棟方の油絵が行き着いたのは、色彩や筆触、筆勢を全身で体感し、それを楽しむような文人画的な油彩表現だったといえよう。(この昭和10年代以降の棟方様式の油彩画については稿を改めて論じたい。)棟方の初期の油彩画は、昭和を代表する版画家の原点であり、その芸術観が形成される過程を知る手がかりである。従来語られてきたゴッホだけでなく、さまざまな画家の作品を研究した跡がみられる。これらは、近代美術教育の外にいた画家志望者たちがどのように油彩画を学んできたかを証言するものでもあり、記録の残らなかった膨大な官展落選作の代表として見ることもできよう。品解説(執筆=三好徹)による。三好氏には本調査に多大な協力を賜わった。

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