4長安、洛陽を中心とした初唐時代の仏教造形―178――光宅寺七宝台の浮彫石仏群像を中心に―研 究 者:神戸大学 文化学研究科 博士後期課程 楊 効 俊はじめに中国武周長安年間(701〜705)に、武則天は長安に大明宮の近くにある光宅寺に七宝台を創建した。かつて七宝台を荘厳化した石仏像は今の中国、日本、アメリカに収蔵されている。二十世紀以後の主な先行研究には福山敏男氏(注1)、杉山二郎氏ると思う。一つ目は群像の数で、先行研究では32点、35点(注4)と言われているが、文献整理と現地調査の結果は32点である〔表1、2〕。二つ目は造像年代、様式である。福山敏男氏はこれらの像が三つの時期で造られ、初唐から盛唐への様式変化が見られると述べるのに対し、顔娟英氏、水野清一氏は長安、開元年間の像には基本的に区別が認めがたいと論じている(注5)。一方、田三郎助氏は七宝台の浮彫群像は盛唐の代表的な遺品と考えている(注6)。つまり、これらの像は唐代仏教芸術史上の位置がまだ不明である。三つ目は七宝台の復元である。顔娟英氏は七宝台の中に中空の四面柱が存在することを推定し、米国ボストン美術館に収蔵されている長安四年(704)の石精舎を参考にし、32点の浮彫仏像は全部この柱の外部の壁に嵌め込まれたと考えている(注7)。さらに、七宝台の建築意義についての議論は“華厳経中心説”(注8)、“舎利塔説”(注9)、“鎮護国説”(注10)の三つがあるが、これらの三説は皆検討すべきだと思う。先行研究を踏まえ、長安と洛陽における初唐から盛唐時代までの仏教造形を全面的に調査の結果に基づいて、本論は刻銘がある浮彫像を基準に、様式論と図像学の面から、32点の作品を創建期と補修期に分期して進めていく。さらに、創建期造像の当時の配置を明らかにする。そして、その建築意義を検討することを目的とする。一:浮彫の分期と分類1:創建期創建期は長安三年〜四年(703〜704)で、作品は〔表1〕の全部24点である。(注2)、顔娟英氏のもの(注3)があるが、これらの先行研究には三つの問題点があ
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