鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―179―その内第一類は7点の十一面観音菩薩である(注11)〔表1:1−7〕。七世紀から、長安、洛陽における十一面観音菩薩像は経典の流布と共に盛んになる。丸彫像は正しく経典の図像規則を表しているが、浮彫像の場合は、十一面観音菩薩像の後ろ、右、左の面の表現ができないので、正面観が強調される。それゆえ、頭の上三層で5、4、1面が並んでいる。七宝台の十一面観音菩薩浮彫像はまさにこの形で表現されている。ところが、浮彫十一面観音菩薩像は独立な礼拝像としての存在ではなく、像は必ず建築の壁に嵌めこまれ、龕像と建築が一体化し、守護神としての性格が強く見られる。第二類は大乗仏教の四仏、計17点である。そのうち、阿弥陀仏三尊像は4点ある〔表1:8−11〕。造形の特徴は主尊の右手は施無畏印を結び、蓮台の上に結跏し、すわっていることである。天蓋の形は菩提樹と宝珠蓋がある。彌勒三尊像は4点ある〔表1:12−15〕。造形の特徴は主尊が台座の上に倚坐像で表現していることである。薬師仏と思われる三尊像は4点ある(無銘文)〔表1:16−19〕。これらの像の特徴は主尊の右手は施無畏印を結び、八角台あるいは須彌台の上に結跏して、すわっていることである。天蓋の形は菩提樹と宝珠蓋の二種類がある。釈迦仏と思われる三尊像は4点〔表1:20−23〕、五尊像は1点ある〔表1:24〕。これらの像の主尊は右手が降魔印を結ぶ。天蓋は同じ菩提樹である。福山敏男氏は主尊が偏袒右肩の衲衣を着て、右手が降魔印を示している仏像は釈迦三尊、五尊と謂う(注12)が、顏娟英氏はこのような共同な造形特徴を持つ9点仏像(8点は三尊像であり、一は五尊像である)は「装飾仏(Adorned Buddha)」と命名している(注13)。本論は武周時代の同類の降魔印仏像の銘文を根拠に、この種類の仏像は釈迦牟尼仏と判断する。四川広元千仏崖蓮華洞内七尊龕:大周萬ef天□年(696−697)の銘文によれば、降魔印を示している主尊は“釋5牟尼佛”である。銘文:“竊以法門布澤于群生……、因是以□□萬□歸依□□□□、弟子王行淹□i□g□□□之側、願植善根、歸依三寶、敬造釋5牟尼佛一鋪救苦觀音一G、願使□代……□□□諸苦……大周萬ef天□年……”四川彭州龍興寺出土された聖h元年(698)銘の三尊浮彫像の銘文によれば、降魔印を示している主尊は釈迦像である。銘文:“弟子王弘禮今爲父母敬釋5像三身並及見在家口乞願M安敬t供w聖h元年

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