―180―五月七日記”(注14)。以上から、創建期の浮彫像は大乗の四仏と雑密の十一面観音菩薩像からなり、図像の主題は祈福、往生、滅罪と思われる。次に、以上の浮彫像の様式について述べる。まず、如来像は頭が大きく、身体が小さく、菩薩は上半身が下半身に較べて長い。そして衣紋線は太く、初唐帯形の作風がみえる。また天蓋と飛天の造形は硬さを持ち、背光は簡単な宝珠光で、台座の装飾も少ないという特徴がみられる。しかし、650年代の初唐造像例えば彬県大仏寺大仏洞の像と較べると、豊艶、柔軟さという印度造像の影響もみられる。彬県大仏寺千仏洞の武周年間の像と同じ様式、所謂武周様式を示している。2:補修期補修期は開元十二年(724)の頃で、浮彫像8点がある(注15)。(〔表2〕を参考)補修期の像には彌勒三尊像3点〔表2:1−3〕、降魔印佛三尊3点〔表2:4−6〕、毘盧遮那像と思われる三尊像2点〔表2:7−8〕がある。ここでは、図像特徴の変化がない弥勒仏作例を取り上げ、創建期から補修期の像の様式変化を追う。如来の身体は写実化し、顔の丸み、体の量感は創建期より増し、表情が穏やかになる。菩薩像は体のバランスがよくなる。そして、衣紋は細く、流利、形式化になり、線の造形役割から装飾意味へという変化がそこに見られる。また、台座の多様化、宝帳形天蓋の増加、装飾紋様の流麗化という特徴もある。鶴を乗る仙人、鳥身人面など紋様が出てくる。補修期の像と長安青龍寺で出土された盛唐時代の浮彫像の様式がよく似ている。この創建期から補修期の様式変化は、武周様式から盛唐様式への変遷であろう。二:創建期浮彫像の復元研究1:復元の参考作品武周時代において、仏教モニュメント造形は盛んになる。七宝台の浮彫像はこの造仏造塔風潮中の代表的な仏教造形である。武周時代においては、塔の荘厳のために造られる浮彫龕像が大流行した。義浄によって天授二年(691)に書かれた『南海寄帰内法伝』の巻四では、七世紀のインドにおける造仏造塔について次のように述べられている。「t泥制底及拓模泥像、或印絹紙、隨處供w。或積爲聚以磚裹之即成佛塔。或置空野任其銷散。西方法俗莫不以次爲業。……」塔と浮彫像の結び付きには二種類ある。一種類は浮彫像が塔の各面の仏龕の中に嵌
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