―183―倚坐像で表現される。釈迦仏の右の面には蓮台座の上に坐っている阿弥陀仏像があり、阿弥陀仏の相対の面は薬壷を持つ薬師仏である。釈迦仏と弥勒仏の対応関係は現在と未来の仏法の関係、阿弥陀と薬師仏の対称関係は人生に関する往生への西方浄土と病気治療の東方瑠璃世界を示す。七宝台の仏像は薬師仏の造形特徴は定型化以前のものであろう。顔娟英氏は七宝台の十一面観音菩薩像は守護神としての性格を認め、さらに石窟の例を根拠に、これらの像の元の安置場所も門口或いは邊界だと推測する。確かに、今残されている浮彫十一面観音菩薩像の一部分は石窟の門口にある。例えば、龍門石窟の東山擂鼓臺北洞の門の左右両側にあった像である。しかし、七宝台の十一面観音菩薩像の安置場所はもとの法堂の石造モニュメントであり、その造形と荘厳方法は石窟と違う。石窟の守るべきところは門口或いは邊界であるが、石造モニュメントの守るべきところはその基礎部分であろう。それゆえ、本論には7点の十一面観音菩薩像はもとモニュメントの基礎部分に嵌めこまれたと推測する。この推測には四つの理由がある。一つ目は筆者の調査によると、東京国立博物館に収蔵されている2点の十一面観音菩薩像の後ろの面は三、五尊仏浮彫像の平面と違い、突出して、“凸”形になっていること。二つ目は、武周における菩薩群像の造像、供養という時代風潮がある。例えば、龍門石窟の浄土堂前室の壁にある長安元年(701)龕像は六尊菩薩群像である。そのため、七宝台の七尊十一面観音菩薩像も群像として安置すべきだろう。三つ目は、本論は長安の西のほう、昭陵の近く唐時代の広済寺の遺跡に、一本の陀羅尼経幢の基礎部分の造形を参考に、石塔の基壇を復元する。この陀羅尼経幢の台座の高さは160cm、円柱形、南面には仏龕があるが、今龕像が失ってしまった。その周囲は一つの弟子像と七つの菩薩立像が浮彫像で表現されている。これらの菩薩像は七宝台の十一面観音菩薩像の様式と類似する。私はこの陀羅尼経幢の台座の造形を参考にし、七宝台の基礎部分の正面に仏龕があり、その中に群像の中ただ一つの五尊像がはめ込まれ、その周りは十一面観音菩薩像が安置されると推測する。四つ目は七宝台の基礎の周りに安置される十一面観音菩薩像が本体を守るという形は、インド石柱の造形伝統から影響を受けていると考える。例えばインドAjianta第26窟仏塔と第2窟右廊の柱の基礎部分の周りには菩薩像が安置されている。ほかエローラ第21窟に女神をつけた列柱がある。エローラ第29窟では内陣を守護する神像が柱の周りに安置されている。それらのことから、七宝台の七面十一面観音菩薩浮彫像と中央部分の降魔印を示す釈迦五尊像の結び関係は、統一新羅時代の石窟庵にあった十一面観音菩薩浮彫像と降魔印本尊との結び関係、法隆寺の金堂壁画の十一面観音菩薩と尊像の関係と同じく守護
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