―206―なドームの装飾プログラムが、キリスト聖堂において全く実現されていないのかというと、必ずしもそうではない。例えば、東壁の最上部にはドーム頂部のパントクラトールの代わりとして、天使に支えられる「インマヌエルのキリスト」が描かれ〔図2〕、また、ドームを戴く聖堂においてペンデンティブに配されることの多い四福音書記者は、預言者と同じ中段のメダイヨンの並びに登場している。それゆえ、ドームを戴く聖堂に見られるドームの装飾プログラムの位階的な配列は、キリスト聖堂においても部分的には実現されていると考えられる。そうであるならば、なおさら預言者が新約場面の下に位置していることが疑問に思われる。どのような理由により、このキリスト聖堂において旧約の預言者は、南北垂直壁面の最上部ではなく、新約諸場面より下の中段に描かれたのであろうか。二つの理由を想定することが可能であろう。第一に、ヴェリアにおける、キリスト聖堂に先立つビザンティン聖堂壁画の影響が考えられる。身近な作例に従ったという、幾分消極的な理由である。第二に、キリスト聖堂の装飾プログラム全体を支配している神学的な概念をより明確に示すため、予型論的関係性を視覚的に強調する必要があったということが考えられる。キリスト聖堂以前のヴェリアにおける最も重要な聖堂として、ビザンティン時代に教区聖堂であったパレア・ミトロポリ聖堂を挙げることが出来る(注9)。パレア・ミトロポリ聖堂は、11世紀に建てられた三廊式の巨大なバシリカ聖堂で、内部には、13世紀初頭、13世紀後半、14世紀前半からのフレスコ壁画が残っている。身廊の南北壁面の上部区画は、上下二段の帯状に区分され、上段に新約諸場面、下段に全身像の預言者と殉教聖人が描かれる(注10)。預言者は巻物を広げ持ち、もう一方の手で祝福のポーズをとるが、その上に描かれている新約諸場面を見つめたり、指差したりしていない。身廊の東西方向に広がる壁面の最上部の区画に新約諸場面を配し、その下に旧約の預言者を置くという構図は、初期キリスト教時代の例ではあるが、ラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の身廊上部壁面において確認される(注11)。前述のようにパレア・ミトロポリ聖堂は、ヴェリアにおいて最も古く権威ある教区聖堂であったため、キリスト聖堂の装飾プログラムを考えた人物は、新約諸場面の下に預言者像を配置するという、パレア・ミトロポリ聖堂で見られる構図についてよく知っていたはずである。そしてその構図をキリスト聖堂においても採用したであろうことは、想像に難くない。新約諸場面の下に預言者を配す構図が共通する両聖堂であるが、預言者のポーズは随分異なる。パレア・ミトロポリ聖堂において預言者は、巻物を広げ持つものの正面
元のページ ../index.html#214