―207―観で表されており、新約場面を示すような身振りをしていない。パレア・ミトロポリ聖堂における預言者の巻物の語句について明らかではないため、上部に展開されている新約諸場面と巻物の語句が予型論的に関係付けられるのかどうか、現段階では定かではない。しかし、キリスト聖堂において確認されるところの、身振りや視線によって預言者を新約場面と視覚的に関係付けようとする明確な意図は、パレア・ミトロポリ聖堂では見受けられない。それゆえ、キリスト聖堂において預言者が新約場面の下に置かれ、身振り豊かに描かれることには、さらに積極的な理由があったと考えられるのである。4.キリスト聖堂における旧約の預言者の担う役割ヴェリアのキリスト聖堂は、奉献銘文に記されるように(注12)、寄進者プサリダスによってキリストの「復活」に捧げられた聖堂であった。「復活」を表す「冥府降下」〔図5〕は、南壁のブラインドアーチに独立して描かれている。「冥府降下」に対面する「磔刑」〔図4〕は、キリストの「復活」の前提としての「死」を直接的に表す図像である。南北壁面のブラインドアーチに描かれた「磔刑」と「冥府降下」は、アプシスのコンクの聖母子と共に、キリストの受肉と救済という重要な神学的概念を視覚化しているのである。こうした聖堂東側のアプシス周辺において示されるキリストの受肉と救済の概念は、さらに聖堂の西壁の最上部に描かれたヨアキムとアンナによっても強調されている〔図3〕。そもそもこの区画にヨアキムとアンナが描かれること自体珍しく、しかも他の人物像に比べて一回り大きいことから、観者の関心を引くよう意図された人物像であったと推測される。ヨアキムとアンナが聖母マリアの両親であることから、二人を強調して描くことは、人であるマリア、すなわちマリアの人間性について強調することになる。そしてマリアの人間性の強調は、マリアから生まれたキリストの人間性の強調へと繋がる。西壁最上段のヨアキムとアンナは、対面する東壁のアプシスの聖母子が示す受肉の概念を補強し、さらに強調していると考えられるのである(注13)。このように、キリスト聖堂の装飾プログラムは、受肉と救済という神学的概念によって強く支配されている。そしてキリスト聖堂における旧約の預言者は、それらの神学的概念をより一層強調するために選ばれたイメージであったと考えられる。新約場面の下で巻物を広げて左右を仰ぎ見る預言者は、他のバシリカ式聖堂におけるような、身廊の垂直壁面最上部に描かれる預言者よりももっと存在感があり、観者の関心を強く引いたに違いない。これらの新約場面と関係付けられる預言者を目にしたビザンテ
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