鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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13世紀にさかのぼる8人の預言者と8人の殉教聖人が北壁にのみ現存する。ビザンティン時代には、北壁と同様に、南壁の同じ区画に全身像の殉教聖人と預言者が描かれていたと思われる。その他、聖堂装飾の例ではないが、ロッサーノ福音書写本やシノペ福音書写本において同様の銘文の内容は次の通り。「クセノス・プサリダスは、その多くの罪の許しを求めて神の聖堂を建て、キリスト復活の名を与えた。彼の妻、エウフロシニがこれを完成した。画家の名はカリエルギス。テッサリア全域(すなわちマケドニア地方)の礼儀正しき兄弟の中で最高の画家である。聖堂は、偉大なる皇帝アンドロニコス・コムネノス・パレオロゴスの治世下、6823年(=1314/15年)に、総主教の手によって聖別された」。原文については、Πελεκαν´ιδης,Καλλι´εργης, 7を参照されたい。―209―■Siomikos, L’eglise Saint-Etienne a Kastoria, 139−150, esp. 139−40.パレア・ミトロポリ聖堂の壁画については、以下を参照されたい。Eftimios N. Tsigaridas, “LesTsitouridou, “Remarques sur le programme,” 341.構図が見られる。peintures murales de l’ancienne metropole de Veria,” in, Στυλιαν´ος Πελεκαν´ιδης, Καστορ´ια: Βυζαντινα´ι τοιχογραφ´ιαι, Thessaloniki, 1953; NikolaosSiomikos, L’eglise Saint-Etienne a Kastoria, etude des differentes phases du decor peint(Xe-XIVesiecles), Thessaloniki, 2005.1985,Beograde, 1987, 91−101; Παπαζ´ωτος, Η Β´εροια και οι ναο´ι της, esp. 164−169; idem, Οδοιπορικ´οστη βυζαντιν´η και μεταβυζαντιν´η Β´εροια: Ναο´ι- Τ´εχνη- Ιστορ´ια, Athens, 2003, 65−74.

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