―14―現だが、ナオスに描かれる例は他に知られていない。兵士の配置場所は比較的自由度が高かったようで、神学的な位階を飛越え聖堂上部や東部分を占める場合がある。ナクソス島プロトスロニ聖堂ナオスのドーム(11−12世紀初め)では、パントクラトールのキリストを取巻く大天使や預言者と共に、主教ニコラオスと3人の兵士ディミトリオス・テオドロス・ゲオルギオスが並ぶ(注19)〔図8〕。変則的な図像配置は、画家・寄進者の意図や独自の典礼形式の反映と思われるが、その解釈には個々の聖堂をさらに詳細に検討することが必要である。典礼暦の写本制作が隆盛した時代にあって、聖人の選択と配置は如何に変化したのか(注20)。ダフニ修道院主聖堂(11世紀末)は内接十字式の聖堂で、南北腕部と西側に18名の殉教者が描かれる。彼らは10月から12月の聖人の中から選ばれた(注21)。ナクソス島アギオス・ゲオルギオス・ディアソリティス聖堂でも、聖人の祭日にある程度の纏まりが観察される(注22)。カストリアのアギイ・アナルギリ聖堂(12世紀)では、壁面上部より〈聖母の眠り(8月15日)〉と〈ラザロの復活(復活祭前の土曜日、注23)〉が描かれ、その下に聖治癒者ヨアンニスとキロスの胸像(1月13日と6月28日)、兵士クリストフォロス(5月9日)とプロコピオス(7月8日)がナオス入口両脇に立つ。アギオス・ニコラオス・トゥ・カスニヅィ聖堂では、〈昇天(復活祭後40日目)〉の下に〈聖母の眠り〉〈変容(8月6日)〉が並び、6人の聖治癒者の立像が配された。ヨアンニスとキロス、ヘルモラオス(7月26日)、コスマスとダミアノス(11月1日あるいは7月1日)、パンテレイモン(7月27日)である。聖堂全体ではないが、一部で典礼暦に基づく図像配置がなされている(注24)。この時期シナイ山アギア・エカテリニ聖堂(6世紀)身廊に並ぶ12本の円柱に、日々の聖人の肖像を並べた各月のカレンダーイコン(11−12世紀)が掲揚されたのは、聖人と暦に対する関心が高揚した為、そして典礼上の要請のためだろう〔図9〕。このイコンの用途を考察することは、壁画装飾における聖人像の役割を理解する一助となり得る(注25)。女性の聖人は最も低い位階に属す為、通常聖堂西側かナルテクスに置かれる。オシオス・ルカス主聖堂ナルテクス西壁の女性像の内、アナスタシアという名の聖人が〈冥府降下(アナスタシス、「復活」の意)〉の向かい側に見られる(注26)。名前が配置を決定する根拠となったものだろう。また彼女はアギイ・アナルギリ聖堂ナルテクス、アイ=ストラティゴス聖堂ナオスにも描かれる。前者では〈昇天〉〈聖霊降臨〉の下にキリアキ(「日曜日」の意)と共に聖堂入口脇を占め、後者では〈聖霊降臨〉の下にパラスケヴィ(「準備」「金曜日」の意)と対にナオス入口の両側に立つ。キリ
元のページ ../index.html#22