鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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7フランス19世紀末における中世美術の復権―213――ルーヴル美術館中世彫刻コレクションの成立について―研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程  泉  美知子はじめに革命以前にルーヴル美術館(以下、ルーヴルの略称を使用する)が所蔵していた彫刻コレクションとは、古代彫刻を中心に、近代彫刻では王室注文によるものや美術アカデミーの所蔵によるものであって、中世時代の作品が占める割合はごく一部であった。では、今日のルーヴルにおけるフランス中世彫刻コレクションはどこに由来し、どのように形成されたのか。美術アカデミーが支配するルーヴルのなかで、古典主義の規範から外れた中世美術に19世紀以降いかなる経緯をたどって展示場所が与えられるようになったのか。これが本研究の追究する課題の一つである。こうした問いは、19世紀における中世美術の再評価の問題と分かちがたく結びついている。中世が古代とルネサンスに狭間にありながら、両者に引けを取らないほど芸術的創造の豊かな時代であったとして認識されるようになるには、美術館が果たした役割は大きい。19世紀に中世の作品を展示した美術館として、プチ=ゾーギュスタン修道院に設置されたフランス記念物博物館(1795年開館)、クリュニー美術館(1844年開館)、トゥールーズのオーギュスタン修道院に設立された古代美術館(1832年)を挙げることができる。これらの美術館が比較的小規模なものであったのに対し、芸術の権威として君臨するルーヴルにフランス中世彫刻が展示されることは意味合いが大きく異なってくる。つまり中世の作品は一部の愛好家の趣味を満足させることを超えて、国民的な芸術遺産としての価値を与えられることになる。ここで論じるルーヴルにおけるフランス中世彫刻コレクションの形成は、中世美術の復権のみならず、国民の意識を統合するような“フランス美術史”の創出に結びついてゆく問題なのである。Ⅰ ルーヴル中世彫刻コレクションの起源ルイ・クーラジョ(1841−1896年)は、古文書学院で学業を修め、国立図書館版画部門を経て、1874年にルーヴルの中世・ルネサンス・近代彫刻工芸部門に着任した。1879年に学芸員副主事、1893年には主事に昇進している。クーラジョは目利きタイプの学芸員というよりもむしろ、その学歴が示すようにドキュマンタリスト的傾向の強い学芸員であった。22年間に渡る蒐集活動において、彼は自らの芸術観や審美眼に頼

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