鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―216―を引き合いに出して、ルノワールの集めたコレクションの正統な相続人はルーヴルにおいて他にないことを度々主張したのである(注5)。Ⅱ 19世紀末におけるルイ・クーラジョの蒐集活動ルーヴル彫刻コレクションとしての「中世」は、革命や権力の交代に伴う政府の方針に翻弄されてきた。美術館の彫刻部門に「中世」の名称が初めて使用されたのは第二共和政下であったが、ナポレオン三世が即位すると一時的に消滅してしまう。「中世」の文字が復活するのは第三共和政に入ってからであり、その後は「中世・ルネサンス・近代彫刻部門」として定着してゆく。1874年頃クール・カレ南側及び西側にそれぞれ五つの展示室を管理していた中世・ルネサンス・近代彫刻部門は、クーラジョの死後には〔図2〕のように拡大していた。これはクーラジョがコレクションの抜本的な再編に取り組んだ結果であり、1881年から自らが責任者となって中世・ルネサンス部門展示室の拡張工事を開始した。フランス彫刻展示のために追加された三部屋は、「アンドレ・ボーヌヴーの展示室」(Ⅰ)、「中世の小展示室」(Ⅱ)、「ミシェル・コロンブの展示室」(Ⅲ)であり、1883年頃から作品の配置が始められ、1887年から1890年にかけて公開された。展示室Ⅰは主に14、15世紀の作品で構成され、北フランスやブルゴーニュ派の墓碑彫刻が多く、フランドル起源の作品も含まれていた。展示室Ⅱは11〜15世紀の彫刻を扱い、なかでも13世紀のものが最も多かった。主な展示品は解体された建造物の断片であったが、聖母像なども含まれていた。展示室Ⅲは16世紀前半のフランコ=イタリアンと呼ばれる作品群を展示し、墓碑彫刻や記念物から取り外された装飾彫刻が数多く含まれていた。16世紀後半のフランス彫刻を展示する「ジャン・グージョンの展示室」(Ⅳ)の配置に関して、クーラジョはラボルドの案を大幅に変更することはなかった。「ミケランジェロの展示室」(Ⅴ)の配置も大きな変化が加えられず、それに隣接する旧ミシェル・コロンブの展示室は「イタリアの小展示室」(Ⅵ)となり、さらにユダヤ美術を展示していた場所が「ロッビアの展示室」(Ⅶ)となった。そして「入り口廊下」(a)は、かつて中世・ルネサンスの彫刻を展示する場所であったが、それらはすべて新しい展示室ⅠとⅡに分散され、代わりに中世の碑文が飾られた。入り口の隣部屋は新たに獲得した作品の臨時展示室(Ⅷ)に生まれ変わった。こうした再編によって、中世・ルネサンスの彫刻コレクションが大きく二つに分けられることになった。つまり入り口廊下から二つの方向が示されているのであり、一つはミケランジェロからイタリアの小展示、ロッビアへと続くイタリア彫刻群、もう一つはジャン・グージョンからミシ

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