―217―ェル・コロンブ、中世の小部屋、アンドレ・ボーヌヴーへと続くフランス彫刻群である。入り口に最も近い展示室Ⅳには、フランス・ルネサンスを代表するコレクション(ジャン・グージョン、ジェルマン・ピロン等)が並べられ、その左右にフランス・初期ルネサンス及びイタリア・ルネサンスの作品群が続くように、クーラジョはルネサンス期を基点に全体の配置を考えていたことが分かる。ミシュレに始まり、ブルクハルトによって美術史に浸透していたルネサンスという概念が、19世紀末のクーラジョの美術史観形成において核となっていたのである。クーラジョは新展示室のスペースを偉大なるフランス芸術で充実させるために、コレクションの獲得に奔走した。展示室Ⅲはルーヴルがすでに所蔵していた作品のほかに、サン=ドニ聖堂の石材置場、ヴェルサイユ美術館、美術学校、フォンテーヌブローから移送された作品によって補充された。サン=ドニには、旧フランス記念物博物館の閉鎖時に返却された彫刻で、聖堂内に配置されず倉庫送りになったもののほかに、多くの貴重な彫刻の断片が眠っていた。サン=ドニからルーヴルへの移送はクーラジョが初めて実現させたのであり、1881年、1894年、1895年を通して116項目もの作品が運び込まれた。この時数多くの彫刻が展示室ⅠとⅡにもたらされたが、こうした移送だけでは十分とは言えなかった。中世彫刻は個人コレクターからの寄贈が少なく、コレクションを増やすには有償での獲得に頼らざるをえなかったのである。1883年3月3日の美術館局長に宛てた手紙(注6)は、クーラジョの作品獲得の方策を知るうえで興味深い文書である。そのなかでクーラジョは三つの新しい展示室のことに触れながら、ルーヴルにおいてルノワールの博物館が遅れをとりながらも徐々に再構築されていることについて語っている。しかしこの作業は彼にとって1816年の時点での教育環境を再現したに過ぎず、それ以来美術史は大きな進歩を遂げていることに言及し、「ルーヴルの使命は、同時代の歴史の進展が日々動員するすべての彫刻作品を探し出し、廃墟となった建物にとって不可避である修復工事によって、我々の崇拝すべき記念物から少しずつ剥ぎ取られる断片を集めることである」と説く。修復の現場では建築家によって取り除かれた断片が何の価値もない石材として残されているが、それらの多くは芸術作品であり、美術館において有用性のあるものだとクーラジョは考えている。「ルーヴルにはフランス派彫刻のシリーズを完成させることを目的とした貴重な模範を探す権利があり」、こうした断片をルーヴルが獲得することによって、国家は「一銭も払わずにルーヴル・コレクションを増やす」ことができると説明している。予算が限られている以上、無償で作品を獲得できることは学芸員にとって大きな魅力であったはずである。こうしてクーラジョは、1890年から地方の修復
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