―218―工事現場の石材置場を毎年訪れるようになり、作品を見つけ出してはルーヴルのコレクションに加えていった。建築家とのコンタクトや綿密な調査のうえに可能となるこの蒐集は、クーラジョの精力的な個人活動によるところが非常に大きいのである。クーラジョによる三つの展示室の新設は、中世・ルネサンス部門のコレクションが飛躍的に拡大する契機となった。クーラジョの死から一年後に刊行された1897年のカタログ(注7)は、この学芸員の蒐集活動の集大成ともいうべきものである。後任者のアンドレ・ミシェルによれば、中世・ルネサンスに関する部分はクーラジョによってほぼ完成されていたようだ。第一章の中世・ルネサンス彫刻は479項目、第二章の17、18、19世紀彫刻は362項目あり、19世紀末において中世・ルネサンスのコレクションは近代を上回っている。第二章では芸術家名のアルファベット順に作品が整理されているのに対し、第一章は細かい分類がなされている。〔表2〕が示すように、フランス(フランドル・ドイツを含む)とイタリア(スペインを含む)の二部構成になっており、各部は無名作家と有名作家に分けられ、さらに地名に基づくエコール(派)に細かく分類されている。各派のなかで、無名作家のほうはほぼ年代順に、有名作家のほうは芸術家のアルファベット順に整理されている。イタリア彫刻では有名作家のほうがやや多いのに対し、フランス彫刻は無名作家のほうが圧倒的に多く、その数は有名作家の約四倍である。つまりクーラジョの蒐集が、芸術家本位ではなく、たとえ作家不詳であっても、作品そのものを考察の対象とし、美術史的観点から評価しようというものであったことを示唆している。中世・ルネサンスのフランス彫刻に関してカタログが示す由来を詳しく調べてゆくと、クーラジョの蒐集活動が浮き彫りになってくる。有名作家に分類されている15世紀から16世紀の彫刻に関しては、ほとんどが旧フランス記念物博物館のコレクションであるのに対し、無名作家に分類されている11世紀から15世紀初頭の彫刻での占める割合は三分の一である。さらに三分の一がサン=ドニ聖堂の石材置場から移送されたもの、残りの三分の一がルーヴルやヴェルサイユ美術館の保管庫から探し出したもの、個人コレクターからの寄贈や購入によるもの、さらに地方の大聖堂、教会堂、修道院から移送されてきたもので構成されている。ここからクーラジョが中世のなかでも古い時代の蒐集に力を入れていたことが分かる。旧フランス記念物博物館に由来する作品のなかで、プチ=ゾーギュスタンからルーヴルに移送されたものが半数近くを占めるが、残りはサン=ドニを経由したものヴェイルサイユの美術館や保管庫を経由したものであって、散逸したコレクションを集めるための努力が窺える。また旧博物館に由来しない作品で、ルーヴルが地方の記念物から獲得した彫刻に関して、1850年代の
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