■Archives des Musées nationaux, S21883, 3mars.■Musée national du Louvre, Catalogue sommaire des sculptures du Moyen Age, de la Renaissance et des Ibid., p. 61−62.■Ferdinand de Guilhermy, ‹‹Musée de sculpture au Louvre››, Annales archéologiques, 1852, t. XII, p. 18.■Ibid., p. 20−21.■クーラジョによるルノワールとその博物館に関する研究については、拙稿「美術館という保護と破壊のシステム―フランス記念物博物館の再評価をめぐって」、東京大学21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」『UTCP研究論集』第6号、2006年、39−54頁で論じた。■クーラジョのエコール・デュ・ルーヴル講義については、第57回美学会全国大会(大阪大学、2006年10月)で発表した。発表要旨「“フランス”美術の起源を求めて―ルイ・クーラジョのエコール・デュ・ルーヴル講義録(1887−1896年)を読む」(『美学』、227号、2006年冬、51頁)―219―注(字数制限のため、参照文献の記載は本文の引用に関するものに留めた。)Louis Courajod, Histoire du département de la sculpture moderne au musée du Louvre, Paris, Leroux,ラボルドの時代に若干あるのみで、1880〜1890年代のクーラジョによるものがほとんどである。個人からの購入では、1882年に獲得したタンバル・コレクションが代表的で、その他コレクターからの寄贈の多くのはクーラジョの時代である。その中には彼自身による寄贈で12世紀ブルゴーニュのキリスト像も含まれていた。ロマネスク彫刻をルーヴルに持ち込んだのは、クーラジョが初めてであった。おわりにクーラジョは1887年から始めたエコール・デュ・ルーヴルでの講義のなかで、フランス・フランドルの北方芸術とイタリアの南方芸術の対立図式を描き出し、ルネサンスの起源をイタリアの古代模倣にではなく、フランス・ゴシックの自然主義の傾向に見出そうとする独自のルネサンス論を展開した(注8)。こうした主張は、学芸員が情熱を注いだ彫刻部門のギャラリーによって具現化されているのである。この調査を通して明らかになったクーラジョの蒐集活動は、フランス美術史の形成に深く関わり、忘れ去られた自国の記念物の保護や再発見に結びついている。ここに国民精神の新たな拠り所、“偉大なるフランス芸術”の創出を見ることができるのであり、それを導いたのは19世紀末に中世美術の復権を目指したクーラジョの仕事に他ならない。フランスの精髄に捧げられた今日のリシュリュー翼、その一階に広がる彫刻部門は、19世紀における学芸員たちの自国の美術に対する思いを今でも伝えているのである。1894, p. 11.Temps Modernes, Paris, Librarie-Imprimeries réunies, 1897.
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