鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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8北関東における善光寺式阿弥陀信仰―222―――栃木県小山地域を中心として――研 究 者:栃木県立博物館 主任(研究員)はじめに下野国(栃木県)は古来より東北経営の要地として栄え、下野薬師寺への戒壇設置に代表されるように、仏教文化も大きく花開いた土地である。栃木県南部に位置する小山地域は地政学上重要な拠点であったため、足利・日光などと並び、仏教美術が今も多く遺存している。この地域で特に注目すべきは阿弥陀仏の造像で、慶派の手になる13世紀の《善光寺式阿弥陀三尊像》(興法寺蔵)や、仏画では14世紀の《阿弥陀来迎図(山越阿弥陀図)》(現聲寺蔵)など、優品が今も伝わっている。中世の北関東では善光寺式阿弥陀が篤く信仰されたことが知られている(注1)が、現在栃木県内には、知られているだけで10件の善光寺式阿弥陀如来像が伝わっている。また東京国立博物館には栃木県大田原市の黒羽で制作された建長六年(1254)銘の善光寺仏が所蔵されており、宇都宮市の清巌寺には全国的にも遺例の少ない、中世に遡る善光寺式三尊画像(室町時代)も伝わっている。このように、三尊が完備しているものばかりではないとはいえ、栃木には全国的に見ても非常に遺例が多く、善光寺仏への信仰が篤い地域であったことをものがたっている。こういった下野における善光寺式仏の造像の背景には、中世小山氏や宇都宮氏による篤い阿弥陀信仰があると思われる。事実宇都宮氏の総領である宇都宮頼綱(1172〜1259)は、出家して実信房蓮生と号して法然の弟子となり、証空に師事したことが知られている。また中世下野の地は時宗教団が活発に活動していた地であり、遊行派だけで43ヶ寺を数えたとされる。時宗は宗祖の一遍以来、善光寺信仰とのつながりが深く、この時宗の遊行僧による布教も、善光寺式三尊の遺例の多さの一因となっていると考えられる。本論では筆者が過去及び本研究助成にて行った調査の結果、新たに確認された3件の善光寺式阿弥陀を紹介するとともに、なかでも極めて重要な遺例と考えられる、光台寺所蔵の三尊の重要性とその位置、さらには善光寺式三尊の展開について考察する。北関東各県と歴史的にも地理的にも非常に縁の深い小山地域の善光寺式阿弥陀三尊の遺例と他地域のものとを比較することで、北関東という広いエリアでの善光寺信仰と造像活動とを解明する一助となるものと考える。本 田   諭

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