―223―一、新知見の善光寺式3例の概要過去に小山地域で行われた寺院調査は散発的なものにとどまっており、その全体像は不明といわざるを得ない状況下にあった。筆者は小山市教育委員会の協力のもと、2004〜2005年度までに計6次の調査を行った。また2006年度には本研究助成を得て9次にわたる調査を行い、34ヶ寺・堂宇の調査を行った〔表参照〕。その結果、渋井地区・光台寺、中久喜地区・西光寺にいずれも中世に遡る金銅の善光寺式阿弥陀三尊像が遺存することが新たに確認された。また、卒島地区・新善光寺からも善光寺式三尊脇侍であったと考えられる勢至菩薩立像が確認された。これらの像はいずれも小山地域の信仰と造像を考える上で重要な遺例といえる。以下、これら3件の善光寺式阿弥陀三尊像の形状と構造について略述する。1、光台寺蔵 阿弥陀三尊像(以下、光台寺像)時宗寺院の光台寺に伝わる三尊像。三尊とも前後合せ型による銅製鋳造で、台座・光背は三尊とも欠失。鍍金と彩色は後補。本像は東京国立博物館蔵の建長六年(1254)銘善光寺式阿弥陀三尊像(以下、東博像)と酷似する表現となっている(注2)。この光台寺像は善光寺式三尊の展開を考えるうえで非常に重要な遺例であるため、詳細は次章にて詳述する。2、新善光寺蔵 勢至菩薩像〔図1〕像高30.2髪際高25.8(単位cm、以下同じ)(注3)時宗寺院の新善光寺に伝わる勢至菩薩像(以下、新善光寺像)。白毫相、水晶嵌入。八角宝冠をいただき、正面に水瓶を、残り七面には宝相華をあらわす。天冠台は二条の紐と列弁文で構成される。頭髪は宝冠上に覗く髻と天冠台下ともに筋彫りをほどこす。耳孔は不明瞭で耳朶は貫通せず、顎線をあらわす。三道相。胸飾後補。条帛、天衣、裙、腰布をつけ、左手を上にして両手を重ねる。天衣は両肩にまとうが肘より下には見られない。裙と腰布は共に折り返し、正面で下縁をM字状に表現する。背面では裙と腰布の下縁部とを一部折り返すほかは衣文をあらわさず、簡略な仕上げとなる。構造は銅製鋳造。前後合せ型を用い、宝冠中央を通る線で両手先を含め頭部から足先までを一鋳する。火中のため表面は荒れが目立つ。中型は頭部にまで及び、肩部・腰部などに中型土が一部残存する。両耳直上の天冠台二条線部に左右とも丸穴があり、中型に達する。頭頂部に鉄心が残存し、また両腰部には型持の跡が見られる。銅厚は薄く、足ホゾをつくらない。本像の衣文は浅く、特に裙と腰布の表現には形式化が目立ち、背面に顕著に見受け
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