鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―224―られるように簡略な表現となっている。八角宝冠はほとんど垂直に立ち上がり反りが見られず、また体躯も抑揚に乏しい。しかしながら宝冠にあらわされる宝相華文やうなじへと向かう後頭部の筋彫りは、火中して荒れているとはいえ十分に造像当時の優美さを伝えている。力強い面貌表現や引き結んだ唇などは鎌倉時代の遺風を示している。本像を所蔵する新善光寺は、時宗の二祖である他阿真教上人が永仁五年(1297)に逗留し、数々の奇瑞を見たと『遊行上人縁起絵』にも記される古刹であり、本像もおそらく14世紀前半頃に制作されたものと考えられる。3、西光寺蔵 阿弥陀三尊像〔図2〕像高 中尊36.2観音26.3勢至26.9時宗寺院の西光寺に伝わる三尊像(以下、西光寺像)。三尊とも前後合せ型による銅製鋳造で、中尊の両手首より先のみ蟻ホゾ差しとするほかは一鋳で造る。中型土をきれいに浚う。台座・光背は全て後補。中尊は左腕をやや斜め前に垂下し一・四・五指を曲げ、ほかを伸ばす。衲衣を着し裙をつける。右腕は屈臂し掌を正面に向けて立て、全指を伸ばす。肉髻珠、白毫相、三道相。両脇侍は筒形の八角宝冠をいただくが、化仏や水瓶などの標識や文様を全く表さない。観音像は蓮台を持し、また勢至像は腹前で合掌する阿弥陀三尊脇侍の通形の姿をとるが、両像とも両肩より先及びホゾは後補である。通形よりもひとまわり以上小さく、総体としてかなり形式化・簡略化した表現となっており、あまり熟達していない仏師あるいは鋳物師の作といわざるを得ない。制作年代は室町時代以降と考えられる。あらたに確認された以上3件の善光寺式阿弥陀三尊像は、いずれも現在は時宗寺院に伝わっており、栃木県南部地域における時宗教団の活動との密接なつながりがうかがえる。また、中世における時宗の本尊を考えるうえでも興味深い遺例といえよう。ところで光台寺像〔図3〕は、栃木県北部に位置する現在の大田原市黒羽の大字余瀬で建長六年(1254)に造られたことが陰刻銘により明らかな東博像とほぼ同型であり、しかも三尊を完備している点は非常に重要な意味を持つ。以下に光台寺像の詳細を記し、続いて東博像との比較を行いたい。二、光台寺像の詳細○光台寺像形状(注4)像高47.4髪際高43.6中尊左脇侍   像高33.0髪際高29.6右脇侍   像高32.7髪際高29.7

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