鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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9釈迦十六善神像の図像に関する考察―234―――南都系を中心として――研 究 者:奈良県教育委員会事務局文化財保存課 主査  佐 藤   大はじめに釈迦十六善神像は仏画の中でも仏涅槃図と並んで遺品に恵まれた主題である。大般若会の本尊としては『中右記』永久2年(1114)7月21日条の堀川院西対での大般若経転読に際して製作された記録が早いものとして知られる。現存作品では平安末期の聖徳寺本や治承2年(1178)の七寺一切経唐櫃中蓋などが初期の作例に挙げられる(注1)。中世以降の多くの作品では釈迦三尊を中心として下方に法涌菩薩と常啼菩薩、玄奘三蔵と深沙大将をそれぞれ相対的に描き、左右に8体ずつの武将神像を配する図像を通例とする。尊像構成がほぼ一定でありながら各像の姿は多様で、その図像系統についてはなお解明すべき余地があるといえる。数ある遺品のうち、画中の玄奘三蔵が左手に梵篋を捧持し右手第2・3指を立てる印相に描かれる場合、従来からその製作背景に南都との関係が指摘されている(注2)。本報告は釈迦十六善神像の図像系統を探る手掛かりとして、この梵篋を執る玄奘三蔵を描く作品の図像について考察するものである。1 梵篋を捧持する玄奘を描く作品現存作品では釈迦十六善神像に玄奘を描くようになるのは鎌倉以降であり、大般若経を請来した玄奘とそれを助けた深沙大将という関わりで一対として画中に加えられたと考えられる。玄奘の姿に着目すると、中世の作品では経巻と払子を執り笈を背負う行脚姿のもの(以下、行脚像)と袈裟を纏い梵篋を捧持するもの(以下、執梵篋像)、袈裟を纏い合掌して笈を背負うもの(以下、合掌像)の3種が広く認められるが、その中で執梵篋像を描く作品は少ない(注3)。遺例の中で最も古様を示すのが西大寺本である。縦176cmの大幅で釈迦三尊を中心として左右対称に諸尊を配置する基本的な画面構成が見られるものの、釈迦三尊と法涌・常啼二菩薩、玄奘・深沙大将、十六善神に加え梵天・帝釈天、仁王、僧形4人など、多くの尊像を描き込むところには未だ群像としての雰囲気を留めている。十六善神が頭頂に十二支を戴く十二神将と火焔光背を背負う四天王からなるのも初期的な要素と考えられる。彩色を主体とした南都仏画の特徴をよく示す画像で、図像的には玄奘や梵釈二天などに見られる南都の伝統的な姿と、仁王像の東大寺南大門像に通じる

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