鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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F神王」などの名前が確認できる。―235―宋風の姿が混在している。叡尊との関係も想定される13世紀に遡る作品である。執梵篋像を描く作品としてよく知られているのが聖衆来迎寺本〔図1〕である。尊像構成は釈迦如来に立像の文殊・普賢が侍し、その前方に女神形の法涌菩薩と僧形の常啼菩薩、最前列には玄奘と深沙大将を描き、これらを挟むように十六善神を左右ほぼ一列に8体ずつ配する通例のものである(本報告中では十六善神について便宜的に画面右上から下へ1〜8、左上から下へ9〜16と番号を付して表記する)。釈迦は左手を腹前で仰ぎ第1・3指を捻じ、右手は施無畏印とする。文殊菩薩は如意を執り、普賢菩薩は合掌する。法涌菩薩は左手に蓮華を執り、常啼菩薩は合掌する。玄奘は赤色の袈裟を偏袒右肩に纏い傍には童子を随える〔図2〕。深沙大将は動きの少ない直立した姿で左手に蛇を握り右手は正面に向け5指を開く。釈迦三尊の衣には截金による細緻な文様を施し、十六善神の甲冑類には金泥により各種文様を描く。十六善神の第1像や第7像に宋代仏画のような縮れた衣文表現が見られるほか、金泥による文様で甲冑を覆うなど伝統的な武将神像と異なる表現がある。謹直な描線と豊かな装飾性を見せる13世紀末〜14世紀初頭の作品である。薬師寺本は尊像構成や諸尊の配置など、聖衆来迎寺本に近い図様を見せる(注4)。図像的には各像とも聖衆来迎寺本に共通するほか、釈迦如来の衣を埋める截金文様や十六善神第7像の縮れた衣など、細部においても同様の表現が認められる。一見して同本と異なるのは釈迦如来の足先をあらわす姿で、彩色中心の十六善神と併せて南都風の特徴といえようか。製作時期は14世紀前半と考えられる。なお薬師寺本では画面の中の短冊形に記された尊名も貴重な資料である。画面の左右が切りつめられているため、十六善神の半数以上の名前が判読できないが、現状でも「跋折F神王」「迦毘慶安寺本は釈迦十六善神を3幅に分けて描くが、尊像構成は通例のものである〔図3〕。中央幅の釈迦三尊像は後世に塗り直されているものの、三体の印相や持物、着衣の文様の種類は聖衆来迎寺本と同じであり、当初の表現を踏襲しているものと推測される。左右幅の群像の描線は伸びやかで各像とも大きさを感じさせる。女神形の法涌菩薩は天衣を懸ける聖衆来迎寺本の姿とは異なり、蓮華座上に立ち長袂衣を纏う姿で天衣は懸けていない。十六善神の図像は同本にほぼ共通するが金泥を多用する表現は見られず、甲冑の文様なども共通するものを描きながら、より穏健な表現となっている。精緻な賦彩から製作年代は14世紀前半と考えられる。本品は大般若経(南北朝時代)と共に寺に隣接する御霊神社神宮寺の金性院(廃寺)に所蔵されていたもので、大般若経の奥書からは同経がかつて長楽寺(廃寺)に伝来したことが知られる(注

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