―236―5)。幽玄齋氏D本〔図4〕は緻密な彩色と入念な筆致の認められる14世紀前半の作で、通例の尊像構成によるものである(注6)。釈迦は肉身を金泥塗りとし衣には截金文様を置く聖衆来迎寺本と同様の表現だが、脇侍の衣を彩色であらわす点は異なる。法涌菩薩は慶安寺本に共通する服制である。十六善神は甲冑に金泥を豊富に用いた聖衆来迎寺本と近い表現で、図像的にも基本的に同本の図像を継承している。第7像の縮れた衣なども共通するが、左手に法輪を載せる第11像はこれまでの画像では見られない姿で、聖衆来迎寺本の第12像を入れ替えている。南北朝以降の作品では聖衆来迎寺本と同図像の十六善神を基本としながらも、中の数体を入れ替えた作品が認められるようになることから、幽玄齋氏D本はその動向を示す早い例と言えよう(注7)。室町時代の作品としては松尾寺本〔図5〕を挙げることができる(注8)。文殊・普賢をあらわさず、釈迦・法涌常啼・十六善神で構成する。釈迦の印相は前記4本と異なり、左手は腹前で5指を開き、右手は第1・3指を捻じる。吊り袈裟とするのもこれまで見られなかった形式である。髪際線がうねらず、鼻筋をあらわさないなど伝統的な表現によるもので、十六善神にも縮れたような衣文は見られない。玄奘は執梵篋像でありながら笈を背負い、ブーツではなく浅沓を履くなど、行脚像や合掌像との図像の混合が見られる興味深い姿である〔図6〕。具色を用いた平明な賦彩などは15世紀頃の特色をよく示している。以上の西大寺本を除く5本は幽玄齋氏D本で十六善神の一部を入れ替え、松尾寺本では文殊・普賢の脇侍菩薩をあらわさないなど若干の図像の変更はあるものの、基本となる尊像構成や諸尊の姿が全て同じであると考えてよいであろう。すなわち執梵篋像の玄奘三蔵は聖衆来迎寺本系とでも称すべき特定の図像の釈迦十六善神像との結びつきが認められるのである。2 十六善神の図像聖衆来迎寺本の十六善神が複数の作品に共通しており、十六善神の一典型として流布したことは既に林氏により指摘されている所であるが、それが数ある十六善神図像の中でどのような意味を持つものなのか、その位置づけを考えてみたい。十六善神の儀軌としては『陀羅尼集経』や『般若守護十六神王形体』などが知られるが、現在の所これらと完全に一致する善神像を描いた作品は知られていない。また前掲西大寺本や定智本薬師十二神将像の図像を採用する法隆寺本など、現存する13世紀末頃までの釈迦十六善神像を見ると十六善神の姿はそれぞれ異なり個性的である。
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