鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―17―■復活祭は春分後最初の満月の次の日曜日に行われる祭日で、従って3月後半以降となる。■ノヴゴロドの聖シメオン聖堂(15世紀後半)では全聖人が暦に従い配置される。N. P. ˇSevˇcenko,“Marking of Holy Time: the Byzantine Calendar Icons,” in: M. Vassilaki(ed.), Byzantine Icons: Art,Technique and Technology, Iraklion, 2002, p. 53.イコンは首都制作と考えられるが、用途は未だ解明されていない。S. and M. Sotiriou, Eikonestes Mones Sina, Athens, 1958, pp. 117−118; ˇSevˇcenko, art. cit. cf.)Exh. cat. Icons from Sinai, J. PaulGetty Museum, Los Angeles, 2006, pp. 195−199. 日々の聖人の伝記は毎日朗誦されたが、祭日以外の聖人伝も読上げられる場合がある。典礼がどの程度図像やプログラムに反映されるのか、検討が必要だろう。R. H. Jordan(transl.), The Synaxarion of the Monastery of the Theotokos Evergetis,Belfast, 2000−2005.Connor, art. cit., pp. 138−139.8世紀の総主教ゲルマノス1世の言。C. Mango, The Art of the Byzantine Empire 312−1453,11日)、南腕部東壁上部:ミナス-マルティラス−ヴィクトル(11月11日)、南壁上部:コスマス−ダミアノス(11月1日または7月1日)、西壁上部:タラホス−プロボス(10月12日)。Englewood Cliffs, N. J., 1972, pp. 141−142.

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