―247―2《刺繍する女》と《素描する若い学生》対作品《刺繍する女》と《素描する若い学生》〔図10、11〕は、いずれも20センチ四方にも満たないとても小さな板絵である。《刺繍する女》では、椅子に座り、たっぷりとしたエプロンを着けた女性像が、膝に布地を置いたまま前屈みになって左手に糸玉を持っている。右傍らには針山を載せた赤いテーブル、足下には色とりどりの糸玉の入った蓋つきの籠が置かれ、画面に平行な壁面を背景とした浅い空間に、女性像は画面いっぱいに大きく描かれた。一方《素描する若い学生》では、丸めた背中を向けて後ろを向いて座った男性像が、膝に画板を置いて、壁に張った裸体素描をデッサンする様子が描かれている。画面に平行な褐色の壁面を背景として、上着を広げてどっしりと座った男性像は画面の中心を占めて存在感を獲得している。このように両作品は、衣服を広げて座り三角形のマッスをなす人物像、印象的に用いられる赤色など、対作品として造形の点で呼応していることが見てとれる。制作年代については、年記はないが1738年のサロン出展以前であることは確実で、さらに技法的根拠から1733年から34年と推定されており、本稿でも先行研究の意見に従うこととする(注23)。さて、これらの作品についても前世紀ネーデルラント絵画からの影響がそれぞれに指摘された。まず《刺繍する女》については、カスパール・ネッチェルやニコラウス・マースといった17世紀オランダの画家による同主題作品が挙げられてきた(注24)。スヌープ=リツマは、フランドル出身の画家・版画家ヴァレラント・ファイラントによる版画作品《針仕事をする女》〔図12〕を指摘した(注25)。次に、《素描する若い学生》に関しては、修業する画家像をよく主題にして描いたファイラントの油彩画や版画が頻繁に比較されている。例えば《若い素描家》や《ローマ皇帝ウィテリウスの胸像を素描する少年》〔図13、14〕を見るならば、確かに少年が彫刻モデルを前にして素描帳や書物に向かう姿が、大変近似している(注26)。ファイラント自身が1659年から1665年にかけてパリに一時滞在したことを鑑みるならば、一定の蓋然性が認められるだろう。一方、ローザンベールは、少年の頃から課されるアカデミー教育の厳しさに対する批判を後年シャルダンが語ったとするディドロによる引用を根拠として、この作品にそうした意図や自己の姿が投影されているとの見解をとった(注27)。研究史では、以上のように各作品の図像源泉がそれぞれ個別に探られてきた。ではシャルダンは、これら2つの図像を恣意的に組み合わせて対作品としたということだろうか。上記ファイラントの版画による諸作品は、従来対作品とは考えられていないことを付け加えておく(注28)。修業する画家像と家事に勤しむ婦人像の間には、一
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