鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―248―体どのような関連があるのだろうか。この問題について、スヌープ=リツマはそれぞれ個別に同時代フランスの教育書を参照しつつ、素描の教育的側面が、手仕事である家事労働によって強められるとの説明を試みている。だが針仕事との組み合わせの説明には依然として不充分であるように思われる。ここで筆者は、17世紀オランダの画家ミーヒール・スウェールツに帰属ないしそのコピーと目されている《針仕事をする女のいる画家のアトリエ》〔図15〕を提示したい(注29)。ここでは、薄暗く塗られた横長の画面に、座って縫い物をする女性と中央の古代彫刻を前にした画家の姿が前景に大きく描かれている。中景には、イーゼルを前に制作する男性像、楽器を持つなどした4人の人物像、さらに遠景となる奥の部屋にも絵画制作する人物像のシルエットが見える。フランドル出身のスウェールツは、ローマに滞在した際に得たアカデミー教育の知識を、故郷ブリュッセルに持ち帰り、やがて彼自身アカデミーを設立したことで知られる画家である。ローマでは、当時流行していたバンボッチアンティと呼ばれる風俗画も手がけ、人物像に古典的造形と厳粛さを取り入れた点を特徴としている。また、日常生活に取材した風俗画のみならず、古代彫刻や裸体モデルを用いて素描するアカデミーの教育風景を主題にした作品を数多く残した。《針仕事をする女のいる画家のアトリエ》では、手前の若い画家は画板こそ持たないものの、黒チョークを手にして夥しい彫刻の山とその向こうにいる女性像を見ている。すなわち、ここでは針仕事をする女性像と、アカデミーの基礎教育とが同一画面中に組み合わされているのである。この組み合わせについて、日常的に繰り返す針仕事のように地道な修業が芸術家にとって重要であること、さらに修業する若者にとって適切な範例である古代彫刻と同様に、この女性像が芸術家の興味をひくに値する存在であることを示すという解釈がこれまでのところなされている(注30)。この作品とシャルダンとを直接結びつける資料は、この度は残念ながら見出されなかった。しかし、ファイラントによる《ローマ皇帝ウィテリウスの胸像を素描する少年》〔図14〕がスウェールツ作品の版画化であることが裏付けているように、ファイラントはスウェールツの影響からこの主題を複数手がけたことが有力視されてきた(注31)。シャルダンが2つの主題を対作品の形式で結びつけたのは決して偶発的なことではなく、その背景にこうしたネーデルラントの図像伝統があったことが充分に考えられるのである。さらに敷衍するならば、ファイラントの版画作品も対ないしシリーズ作品であった可能性も想定され、この主題のさらなる精密な解釈を含めて今後の課題としたい。そもそもスウェールツだけでなくこれまで霊感源とされてきたファイラント自体、

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