―250―のものではないにせよ類似した主題が他の画家の手によって数多く描かれて広がりを見せた(注35)。シャルダンは、《刺繍する女》と《素描する若い学生》において、ネーデルラントの絵画伝統に深く依拠しつつも、先行作品に盲従して写し取るのではなく、そこに同時代のイメージを重ね合わせたのではないだろうか。それほど知られていない作品に基づきつつも、顧客の広がりや追随者を生んだ背景にはこうした工夫がなされていたのである。結語再びラ・ロクの競売カタログに立ち返ってみよう。そこには、オランダ派に分類される作者不詳の《素描する若い男》、そして既述のレンブラントによる《アトリエの画家》〔図5〕の所蔵が記録されている(注36)。前者に関しては、同定がなされておらず詳細は不明だが、「とても自然な様子で素描する若い男」とするジェルサンのコメントは、シャルダン作品に対するそれと共通していることをここに指摘しておく。また後者については、画学生が修業する主題ではないものの、ひび割れた褐色の壁と床からなる簡素なアトリエ、また切りつめられたモティーフの数、そして小さな画面サイズの点において、シャルダン作品の持つ雰囲気といくぶん近似していると言えるだろう。いずれにせよ購入時期が特定できないため相互の影響関係に関しては慎重にならざるを得ないが、少なくともラ・ロクがこうした主題のネーデルラント絵画を愛好したことを示している。彼の死後、そのコレクションは競売にかけられ、シャルダンによる2組の対作品《給水器から水を汲む女》と《洗濯する女》、《刺繍する女》と《素描する若い学生》は、ジェルサンの仲介によってテッシン伯爵の手を経てやがてスウェーデン王室へもたらされた。その際のジェルサンからテッシンに宛てた書簡には、彼の作品とともにテニールスやオスターデの作品が記載され、一緒に購入されたことがわかる(注37)。以後、テッシン伯爵とスウェーデン王室がシャルダンの重要な顧客となっていくことを考え合わせるならば、ラ・ロクによって蒐集された作品が、有力な顧客を得る布石になったとする解釈が有効であろう。前章で行った作品分析に示されたように、シャルダンはこれまで考えられてきた以上にネーデルラントの伝統に知悉していたのであり、その作品はラ・ロクの絵画趣味を充分に満たすものであった。静物画から転向して風俗画制作に取り組み始めたシャルダンは、おそらくラ・ロクやジェルサンとの関わりを通して、17世紀ネーデルラント絵画の知識も深めて制作の方向性を探って
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