鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―258―「辰丸」、「美濃菊」〔図2〕の左足で、足の裏を体の正面に向け、さらに足先を真下に〔図3〕、「お振」、「伊平太」の三人の子ども像である。いずれも一歳、二歳で夭折し向けるという、現実には不可能な足の表現となっている。両手のしぐさと合わせて、半跏像のような、何か仏像的なポーズを想起させるが、不詳である。「お茂」と「乙女」は、右手に和綴じされた小さく薄い冊子のようなものを丸めて握っているが、何であるかわからない。小袖には、それぞれ紋様が細やかに描かれ、そのほとんどが金色で縁取りされるため、華麗な印象を与えている。鍋島家の家紋である杏葉紋は、すべての子どもに見られるわけではない。畳の縁取りの紋様も、「お茂」と「乙女」のそれが類似している以外は、それぞれ実に丁寧に多様に描き分けられている。容貌を見てみよう。目は、目尻がやや上がるか否かの違いはあるものの、いずれも切れ長の目となっている。口はいずれも顔の大きさにくらべて小さく、赤く彩色される。どの子どもも、顎のラインと喉元の一筋のしわによって、ふっくらとした顔立ちに描写されている。いずれにせよ個々の顔の表現に特徴はみられず、個性はない。明らかな補筆が認められるのは、「乙女」である。頭髪部分がべったりと黒く塗り潰され、目、眉の描線、そして襟元の縁取りにも後筆の線が認められる。しかし、オリジナルの描写を変更するものではない。また、戒名の左横に名前が記されているが、「乙女」を除くと、いずれも一様に名前の墨書が戒名よりも明らかに薄い。一方、「乙女」の戒名は、他の子どもに記される戒名とは別筆と思われるほか、戒名と名前が同じように濃く墨書される。よって、戒名と名前が、「十仏像」完成当初から書かれていたものなのか、検討の余地があるように思われる。「乙女」のみ異筆であることが問題を複雑にするが、戒名と名前は、いわば備忘のために追筆された可能性もあろう。さらに戒名と名前との間にも、記された時期に時間差があるかもしれない。さて、この「十仏像」の中で注目すべきは、這い這いをした姿勢で描かれる「三平」た子どもである。このような這い這い姿の肖像画は、ほかに類例を見ない。「十仏像」を除いて、本調査で知り得た子どもの肖像画の中で最も幼い子どもを描くのは、瑞泉寺蔵「豊臣秀次・妻妾子女像」の「土丸」一歳、永青文庫蔵「細川融姫像」(注3)の一歳、次いで盛林寺蔵「即安梅心童子(細川菊童)像」の二歳である。三人とも、坐像である。とくに「即安梅心童子像」の場合は、「十仏像」と同様に畳の上に座る。近世も後半になると、だいぶ様相は変わるが、それでも日本の肖像画には、「畳の上に座る」という強固ともいえる規範が存在する。「十仏像」の這い這いを

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