―262―(聴松院蔵)をはじめ、肩衣長袴を着けて畳に座り、刀を差して扇を手にした姿は、(大聖寺蔵)などは、画面の形式上は、成人像主を子どもに置き換えたに過ぎない。が誰であるかという問題については、「近衛家熈女像」原本の所在確認を待って、あらためて考えたい。4、おわりに子どもの肖像画に固有の形式というものは、今のところ見出し難い。「細川蓮丸像」武家肖像画に広く一般に見られる形式である。法衣に袈裟を掛け、檜扇と数珠を手にした法体の「禅岑像(吉川松寿丸像)」(吉川史料館蔵)や、頂相形式の「玉鑑永潤像」十九世紀の制作である「細川H姫像」(永青文庫蔵)や「童女図」(ライデン国立民族学博物館蔵)は、無背景の画面に、両手を行儀良く足の上にのせて、ちょこんと正座する姿で描かれるが、これは同時期の女性像(とくに老人像)にしばしば見られる形式である。這い這い姿で描かれた「十仏像」は、子ども像に特有の表現と言い得るだろうが、今のところ類例がなく、赤ん坊の肖像画形式(像主表現)として、どれだけ一般化できるかは不明である。本調査研究を経て、あらためて痛感したことは、子どもの肖像画の希少さである。現存傾向から大雑把に判断するならば、戦国時代〜近世初期に制作されたものが多く、近世前期〜中期頃の作品は少ない。江戸時代になり、なぜ子どもの肖像画が減少するのだろうか。影山純夫氏は、子どもの肖像画には、他の一般的な肖像画以上に、像主に対する強い愛情(「親の子に対する慈愛」「強い追慕の念」)が込められており、「私的な面が強く出ているという言い方ができるかもしれない」と、その特異性を指摘する(注17)。俗人肖像画の多くは供養像であるが、子どもの肖像画の場合、供養の担い手は、基本的には親である。親の死後、その供養を引き継ぐのは誰か。像主の直接の子々孫々ではあり得ない。幼くして死んだ子どもの記憶は、親の死とともに消えていくとも言える。そうした子どもの肖像画ならではの特異性を、一つ一つ明らかにしていくことが必要であろう。本調査研究の目指すところは、肖像画研究はもちろんであるが、「子どもの肖像画」を通じた歴史学的視角からの〈子ども史〉研究や、〈家族史〉研究へのアプローチにある。今後を期したい。
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