鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―268―ことは、多くの史料や研究が示すところである。近年では、こうした受容のあり方だけでなく、双方向的関係を扱う研究もなされているが、このような図式自体は、シュルレアリスムと抽象表現主義の関わりを扱う言説のなかで根強い共通認識として通底していると言えるだろう。このような40年代半ばの状況のなかで、ゴットリーブの《ミノトール》(1942)や《航海者の帰還》(1946)は制作された。これらは、1941年から53年まで、計300点ほど制作された「ピクトグラフ・シリーズ」と呼ばれる一連の作品のなかの作例である。先述のように、これらの作品のグリッドは、絵画の二次元性や平面性の問題と結びつけられる。つまり、幾何学的かつ抽象的な格子状の直線で画面が分割されることによる画面の平面性や、その線の「絵画的(ペインタリー)な」側面に注目する見方である。ゴットリーブ自身は、1967年に次のように語っている。わたしは、絵画をおもに絵画的な(painterly)手法で描きたいと思いました。なので、キャンバスをすっかり平らにし、大まかな直線で分割しました。〔…〕それから、自由に連想し、心に浮かんでくるものを何でも、これらそれぞれの矩形に収めていきました。〔…〕いまやそれは、単なる画像の書き写しではありません。わたしは、自分自身を画家であると考えていました。わたしは、考えを描き、事物を絵画的(painterly)にすることに熱中したのです。(注2)ここでは、「絵画的であること」が強調され、抽象表現主義的な絵画観が垣間見える。そして、グリッドによる画面分割は、そうした絵画的手法のひとつと捉えられていることが分かる。ただ、本稿で注目したいのは、40年代のゴットリーブが、シンボルの並置によって多義性や謎を提示したいと述べ、さらにそれが自由連想的なシュルレアリスムのオートマティスムに通じると後に語っていることである(注3)。ゴッドリーブの「ピクトグラフ・シリーズ」とシュルレアリスムの関連は、これまでもたびたび言及されてきた。とくに、「プリミティブ」な文化からインスピレーションを受けた形象や、題名における古代ギリシア神話への言及などは、40年代初頭の亡命シュルレアリストたちの関心にも通じるものである。また、主題の選択だけでなく、その生物形態学的なフォルムも、アルフレッド・バーJrのいう「抽象的シュルレアリスム」に通じることが指摘される。一方で、シュルレアリスムと直接関連させるわけではないが、サンフォード・ハーシュは、「ピクトグラフ・シリーズ」におけるイメージの集合やグリッドについて、「ピクトグラフは、驚くべき源泉の範囲から描かれた、

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