鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―269―文化的なイメージと観念の要覧である」と述べている。さらに、ピクトグラフが文化的、社会学的、個人的テーマの混合する陳列所(近代社会のための神話的オブジェクト)であるとし、その他にもリンダ・コンハイム・クレイマーは、そこでのグリッドの働きは、「三次元的でもなく、年代順的でもないような時間感覚を創出するために、「異なるイメージの同時性」と「分離」を表現する手段」として用いられたとも分析している(注4)。ハーシュはこうした特徴を「脱西洋的」なものと捉えるが、このようなグリッドの形式それ自体についても、40年代初頭の亡命シュルレアリスト周辺にも頻出することに留意すべきであろう。というのも40年代初頭のシュルレアリスムでは、多様なイメージや観念を一所に寄せ集め、グリッドによって分割された各区画に収めて陳列するという視覚的形式に大きな関心が寄せられていた。そこでは、多様なイメージを蒐集、分割し、カタログや一覧表のように並置するという手法が採られている。重要なのは、異なる時代や空間、コンテクストから引用されたイメージが、ランダムに配置されること、あるいは、相隔たる観念が並置されるなどの点であるが、それらはシュルレアリスム的コラージュの概念にも通じるものであると考えられる。とくに40年代に特徴的なのは、それらの相隔たるイメージが見えざる関係性を持ち、類似や連想とともに分析しつつコラージュされうるという、「体系的コラージュ」ともいうべき再考がなされていたことであろう。「シュルレアリスム的グリッド」(便宜的にそう呼ぶ)は、そのような全体を視覚化する形式として重要なものであった(注5)。本稿で取り上げたゴットリーブの作品は、画面の平面性や非再現的抽象にかかわる、いわば「モダニズム的グリッド」のみならず、以上のような「シュルレアリスム的グリッド」とも関わっていると考えられる。なぜなら、ゴットリーブが1944年と67年に語っているように、彼にとって「ピクトグラフに収められた各区画のイメージの配列は、ランダムな配列であるがそれ自身の内的な論理があり、それは理性的なものではなく、新しいシステムに関わるものである」だけでなく、各イメージは、各区画に独立して並置されるが、それは終に観る者の心のうちに融合するものであると考えられていたからである(注6)。彼のこうした見解は、シドニー・ジャニスが1944年に著した『アメリカにおけるシュルレアリスムと抽象』に掲載された《ピクトグラフ#4》(1943)のキャプションのなかに見出せる。シドニー・ジャニスは、30年代アメリカのシュルレアリスム受容に大いに貢献し、この著作でシュルレアリスムと抽象を直接的に結びつけているが、同書のなかでゴットリーブはアメリカのシュルレアリスムの画家として紹介されている。こうした同時代的評価からも、本作品の主題やモ

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