鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―270―「デペイゼ」されたのは事物だけでなく、エルンスト自身であった。つまり、彼のコティーフの問題だけでなく、グリッドによる画面構成についても広く40年代初頭のコンテクストのなかで考察する必要が感じられるだろう。以上のように、ゴットリーブのピクトグラフ・シリーズには、モダニズム的絵画観が前面にあらわれている一方で、とくに後年になって背景に退いたであろう「シュルレアリスム的グリッド」が見え隠れしている。このことは、後にいわゆる抽象表現主義の周辺的位置を占めることになるゴッドリーブの制作が、40年代のニューヨークにおけるシュルレアリスムとモダニズム、あるいは抽象絵画の、重層的なせめぎ合いを内包していることを示しているようにも思われる。2.エルンストの《Vox Angelica》次に、《Vox Angelica》のグリッドの多義性をめぐって考察する。この作品においても、グリッドによって分割された各区画に多様なイメージが並置されているが、こうした幾何学的直線による画面分割は彼の画業のなかでも特異なものである。しかし、そうした画面構成をエルンストの画業の中に置き入れて再検討することによって、本作を特徴づけるグリッドの意味もより明確になってくると思われる。そこで、まずエルンストの「コラージュ」の手法を概観してみよう。そもそもエルンストのコラージュとは、「たがいにかけはなれた二つの」事物が、その外観に最小限の修正が加えられてコンテクストやアイデンティティを剥奪・変形され、それらとは全く異なる一平面上で結合されることによって、新たな意味が生まれるというテクニックであった。エルンストによれば、それはある種の一覧表として、さしたる互いの連関を持たせられないままイメージが並置される、カタログという媒体を眺める体験によって「発見」されたという(注7)。ここで注目すべきなのは、エルンストが行ったのは、イメージ同士の幻覚的結びつきを、見たままに「再現」しているということである。非合理な並置に「驚いた」のはエルンスト自身であり、ラージュ作品がわたしたちに提示するのは、エルンストの幻覚であり、エルンストの欲望だということである。このことは、ここで念頭に置かれていたと考えられる初期のコラージュ作品や、「コラージュ・ロマン」シリーズなどの具体的作品からもうかがえる。というのも、これらの作品では、コラージュされたイメージ同士の継ぎ目を注意深く覆い隠し、あくまで「結合」された後のヴィジョンを固定しようとする操作がなされているのである。このことを踏まえると、《Vox Angelica》が従来エルンストのオーソドックスな

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