鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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+小磯良平の迎賓館壁画《絵画・音楽》の創作経緯とその画面構成について―21―研 究 者:神戸市立小磯記念美術館 学芸員  廣 田 生 馬はじめに昭和を代表する洋画家の一人・小磯良平(1903−88)は、丁寧な画風を持つ具象系作家にしては、比較的多作な方であったと言える。それは、東京美術学校在学中に第7回帝展(帝国美術院展覧会)で早々と特選の栄誉を受けるなど、若い頃から画才を十分に発揮していたことや、60数年という長い画業を有することなどからも納得ができる。そして、その数ある小磯作品の中でも、東京・赤坂にある迎賓館の2階正面壁を飾る、共に200号で対の《絵画》と《音楽》〔図1・2〕は、国賓を迎える場に、言わば“日本の顔”として掛けられていることなども影響し、小磯芸術の愛好家たちにとって、無視することのできない代表的な作品となっている。しかし、昭和49年(1974)に迎賓館の壁面に設置されて以来、長年門外不出であったこともあり、2点の壁画への本格的な調査研究が殆どなされないまま、現在に至っている(注1)。その《絵画・音楽》が、ここ数年の間、内閣府(旧総理府)迎賓館の計らいで2度にわたり神戸市立小磯記念美術館で特別公開される機会を得た。すなわち、震災復興4周年記念事業の一環としての平成11年(1999)の展覧と、記念美術館の節目に企画された特別展・「開館10周年記念 小磯良平回顧展」における平成14年(2002)の特別展示がそれである。このことは、小磯芸術の愛好家、とりわけ、抽選による赤坂迎賓館の一般参観を申し込む機会の少ない近畿・西日本の美術ファンたちに壁画鑑賞の場を与え、2大作についての研究を進める大きな契機となった。本稿では、《絵画・音楽》の創作過程を詳細に辿りながら、その画面構成などについての論考を試みたい。迎賓館の改修と小磯良平への壁画制作依頼赤坂離宮の前身である東宮御所は、後の大正天皇の成婚後の新居として、約10年の歳月をかけて、明治42年(1909)、港区赤坂の紀州藩徳川家屋敷跡地に建てられた。設計は建築家として名高い片山東熊であり、厳かな様相を随所に示す建物は、わが国最初の宮殿建築として、フランスのヴェルサイユ宮を模した華麗なネオバロック様式を誇っている。しかし、その後は、あまり使用される機会がないまま月日が経過していった。

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