刻b本の4種となる。―299―(1)『略画式』大本1冊 32丁 寛政7年12月刊(奥付)江戸・須原屋市兵衛版のちにA斎絵手本の代名詞にもなる、「略画式」を冠した最初の本である。寛政7年刊初版本(A本)のほかに、漆山又四郎がその内容を「忘れた」とするものの寛政9年刊本を報告しており(注6)、狩野氏は寛政9年本を「本書の後版と考えていいように思う」と述べる(注7)。その後、寛政9年8月奥付の改刻本(改刻b本)が報告され(注8)、漆山はこの改刻b本を見た可能性が強いと考えられよう。稿者はさらに、初版本と同じ寛政7年の奥付を持つが落款が「A斎筆(朱文方印「紹真」)」のもの(B本)、および初版本と同一の刊記を持つ改刻本(改刻a本)を報告したことがある(注9)。『国書総目録』にはほかに寛政11年版と文化10年(1813)版が記されているが、寛政11年刊東京国立博物館本は『山水略画式』であり、文化10年刊国会図書館本は『草花略画式』であった。つまり、管見に入った『略画式』は、A本・B本・改刻a本・改B本は、よく観察すれば落款・刊年・彫師名部分を埋め木していることが分かる〔図1〕。おそらく、寛政9年にA斎が「紹真」と改称した後で、奥付の右3分の2を埋め木したのであろう。ちなみに埋め木の落款の版下は、改めてA斎にサインし直してもらったのではなく、同11年刊『人物略画式』奥付落款の模刻であろうことは、その瓜二つの筆跡から推測できる〔図2〕。だとすれば、B本は同11年以降に店頭に並んだものだと考えて良い(注10)。改刻本は全丁改刻されている。一瞥しただけでは気づかないが、初版本と比較すれば線の相違点などを見いだせる。一部だが変更された図もあり、分かりやすい例は15丁表の琴を弾く女性の琴柱の有無、その向かいの少女の帯の結びなどである〔図3、4〕。なお、改刻a、b本は同版であるが奥付のみ版が異なっており、改刻a本は奥付も初版本を踏襲し、b本は後述する『鳥獣略画式』と同一の奥付を持つ(ただし改刻)。しかも、『略画式』奥付は本来32丁裏に位置するが、『鳥獣略画式』のそれは本来表丁に来るべきものであるため、改刻b本の本文は25丁で終わり、26丁表にあたる箇所が奥付の裏見返しになっている。改刻本の制作時期だが、「初版発行後すぐに高い人気を得て初版が痛んだので改刻された」と考えて良いものかどうか疑問が残る(注11)。管見に入ったA本B本は水色の色版の退色が顕著であり、改刻本はいずれも水色が鮮やかである。使用された絵の具の違いや、経年差を考慮に入れる必要性を感じる。
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