見開きに数図をちりばめる形式で全体を構成したこと。A斎以前、この形式は■草体画風を採用したこと。『諸職画鑑』では見られなかったこの画風を『略画■多色摺にしたこと。錦絵に比べれば簡単な色版だが、それでもこのような簡略―303―が指摘できる。『芥子園画伝』等に倣った絵手本において、絵を構成する一モティーフのバリエーションや筆法を示す箇所にのみもっぱら用いられていた。その手法を絵手本全体に応用したのである。絵ひとつひとつが小さくなり、俳画などの趣味絵に用いるには好都合だったろう。『諸職画鑑』が諸職人や素人の利用を意識したものであったことは、凡例や広告文などに明らかであり(注21)、そのような受容者には簡易性・利便性に富む絵手本であったろう。次の『略画式』では、『諸職画鑑』の特徴を継続しつつ、更に以下の点に工夫が見られる。式』において全面に押し出した理由は今後も考えてゆきたいが、結果として、絵画的に面白い絵本に成り得たし、必要最低限の筆線で構成されたその描法は素人にも容易に描けた可能性もある。そしてこのスタイルを「略画」と命名し、「決まった型」などの意である「式」(注22)を付けて「略画式」の語を創造したことも、この画風を強調する効果となっただろう。それまで略画という言葉が無かった訳ではない(注23)が、「麁画」「草画」などの付く絵手本はあっても、「略画」を書名に冠した絵手本はこれが初めてだったようである(注24)。版元の商才を感じずにはいられない。A斎絵手本の代名詞と化したことは先に述べた通りである。な版本が多色摺で出されたことは新鮮だったのではないだろうか。『増補浮世絵類考』に述べる「是より世に薄彩色の画手本大いに流行す」というのが、本当に『略画式』の影響なのかは置いても、確かに『略画式』以後に多色摺絵手本が増えているのは〔表1〕にも明らかである。『略画式』は、表現上・形式上においてその後の絵本にも少なからず影響を与えている。その最初の例が、寛政12年刊『文鳳麁画』である。『文鳳麁画』は、当世風俗を軽妙なタッチで描いた人物描写主体の絵本だが、紙面に人物図を数図ちりばめる点と、略画風であるという表現において、『略画式』に酷似している〔図10、11〕。事実、『略画式』の版元・須原屋市兵衛は、『文鳳麁画』を類版と認識し、「略画式人物略画式ニ差構売留」を訴えている(注25)。裏を返せば、 により多様な図を1冊に収めることが可能となったこと。
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